49歳で引退のバスケット界レジェンド折茂武彦への息子からの1000文字を超えるサプライズ手紙が泣ける
「北海道でこれからも頑張り続ける上で一つだけ覚えておいて欲しいことがあります。折茂武彦はバスケットボール界のレジェンドでもレバンガ北海道の社長でもありますが、何よりも折茂家の僕の父です。世界中誰もが敵になっても僕たち家族は、お父さんの味方なので。最後逃げるところが無くなったら家族を頼ってくださいね。分かりましたか? 本当に、本当に、お疲れ様でした。最も折茂武彦を尊敬している息子、折茂佑飛より!」 YouTubeチャンネルの生放送配信で、息子からの手紙が読まれる間、折茂の表情は、ずっとワイプで抜かれていた。何か思いつめたような表情で聞いていた。折茂に涙はなかったが、視聴した多くのファンの涙を誘った。 折茂は、息子からの手紙にこう”返信”した。 「まさか、このような形でメッセージをもらうとは想像もしていなかった。正直びっくりした。子供の頃から(自分は)バスケ中心(の生活)になって、なかなか遊びに連れていったり、色んなことを彼にしてあげることができなかった。寂しい思いをさせたが、バスケットをする姿を彼に見せられるまでやれたのは非常に良かった。ちゃんと見ていてくれていたという嬉しさもある。僕は何もしてないが、立派に成長してくれたことを嬉しく思っている。これからは、今までできなかった分、色んなことをしてあげたいという思いも生まれた。言葉がみつからないが、支えていただいてありがとうと伝えたい」 27年間の現役生活で、折茂は日本代表に選ばれ、正確なスリーポイントシュートを武器に前人未到の通算10000得点をマークするなど、日本のバスケット界を牽引してきたが、その軌跡を息子はずっと見守っていてくれた。長くやれたからこそ成長していく息子へ与える影響も大きかった。そして光の部分だけでなく、選手兼フロントとしてチーム再建に苦労していた姿も息子は見ていた。 「親はなくとも子は育つ」というが、佑飛さんの手紙には、レジェンドと呼ばれる折茂が、プレーヤーとして果たしてきた役割だけでなく、その背中で家族にメッセージを送り続けてきた父としての存在が表現されていた。息子からの手紙は折茂の人生そのものだった。 折茂は、中原氏の質問に答え、27年間プレーできた理由を「選手としてはピークが過ぎていたかもしれないが、ここまでやってこれたのは応援してくれた北海道の方々のおかげ」と説明していたが、一番の応援団であり、理解者は、家族だったのかもしれない。 引退は決めたが、これからは二足の草鞋を脱いで、レバンガ北海道社長としての責任の重い第二の人生が始まる。 「今、(新型コロナの影響で)厳しい状況になっているがクラブをしっかりと立て直すことを代表としてやっていかねばならない。我々クラブだけでなく、日本全体の経済も難しい状況に入っているが、今シーズンの開幕ができるように開幕ができることを考えて準備していきたい。北海道の地域の方々に何をお返しできるかを含めて、可能性がある子供達に伝えたいこと、教えたたいこともいっぱいある。世界で戦える選手を育成していけるようにしていきたい」 折茂のバスケットボール人生に試合終了の笛は鳴らない。