リベラルや保守から悪意をもって一緒にされがちな「マルクス主義とアナキズム」の関係
マルクス主義を活用したグレーバー
グレーバーはアナキストと自称しているわりには、マルクスをよく読んで、大事なところで活用しています。グレーバーの発想は、アナキズムによってある種の要素にターボをかけられた人類学、あるいはその逆、人類学によってある種の要素にターボをかけられたアナキズム的思考によって枠づけられているのにしても、その中核附近にマルクスがおかれていることはまちがいないのです。そもそもグレーバーの人類学の方法的基礎というべき人類学的価値論も、かれの師の一人であるテレンス・ターナーというかなり厳格なマルクス派人類学者の理論を継承発展させたものなのです。 かれは、マルクス主義とアナキズムとをこう位置づけています。マルクス主義は、「革命戦略のための理論的/分析的言説をめざす傾向がある」いっぽうで、アナキズムは、「革命実践のための倫理的言説をめざす傾向がある」と。 マルクス派にとって、情勢分析は同時に戦略分析でもありました。というのも、それはその社会のなかでどこに矛盾が集中的にあらわれているかの分析であり、革命勢力がどこをどう攻略していけばよいかはそこから論理的にみちびかれるからです。だから、たとえば農民階級は革命的になりうるか、プロレタリアの同盟者でありうるのか、といった問題があらわれ、喧々諤々となります。ところが、アナキストはこういう発想はしません。農民が革命的になるかどうかは、農民自身の問題であって、だれかが理論的に規定できることではないのです(!)。 こういう二つの指向性は、たがいに補うことができるというのがグレーバーの立場です。かれはアナキストですが、その分析の多くがマルクスを批判的に経由したものであり、少なくともある程度はそれをふまえておくとより理解が深まるようにおもいます。 さて、先ほどみた封建制は、ものすごく骨だけのイメージでいうと、お上が民衆の生産物を「掠奪」し、それを取り巻きたちにばらまく、といった感じに考えておいてよいでしょう。 領主はふつう、法的権利と伝統の複雑な集合体にもとづいて、農民や職人たちによる生産物の一部を吸い上げ(わたしは大学で「法的-政治的徴収(juro-political extraction)」という専門用語を学んだ)、それから、その略奪品をみずからの配下、取り巻き、戦士、従者たちに割り当てる。そして、たまにごちそうをふるまい、宴を開いたり、ときには贈り物や利益供与などによって、そのうちの一部を職人や農民たちにふたたび送り返しもするのである(BSJ 233) グレーバーは封建制をなによりもまず、このような余剰の「分配様式」として捉えています。 つづく「なぜ「1日4時間労働」は実現しないのか…世界を覆う「クソどうでもいい仕事」という病」では、自分が意味のない仕事をやっていることに気づき、苦しんでいるが、社会ではムダで無意味な仕事が増殖している実態について深く分析する。
酒井 隆史(大阪公立大学教授)