悲劇語り継ぐ…疎開児童ら1500人近くが犠牲、「対馬丸」沈没から80年 遺体漂着の宇検で慰霊祭 沖縄県・玉城知事も初めて参列
太平洋戦争中の1944(昭和19)年8月、十島村悪石島沖で米潜水艦に沈められた沖縄の学童疎開船「対馬丸」の犠牲者慰霊祭が24日、鹿児島県宇検村宇検であった。多くの遺体が漂着した船越(ふのし)海岸を望む慰霊碑前で参列者は犠牲者を悼み、80年前の悲劇や平和の尊さを語り継ぐことを誓った。 【写真】対馬丸の慰霊碑が位置する場所を地図で確認する
地元住民、沖縄県の玉城デニー知事ら約100人が参列した。全員で黙とうをささげた後、主催者の津田政俊宇検集落区長(66)が「過去の戦争を教訓にし、争いのない平穏な日々が続くことを切に願う」とあいさつ。参列者は沈没地点に向かって立つ碑に花を手向け、手を合わせた。 初めて参列した玉城知事は式典後「奄美と沖縄の心のつながりが平和の波となり、広がってほしいとの思いを改めて強くした」と報道陣に語った。 対馬丸平和学習交流事業による同県と宇検、大和両村の児童生徒ら計46人も参加した。宇検村の田検中学校3年碇元陽衣さんは「どうすれば戦争をなくせるか、自分なりに考えたい」。沖縄県浦添市の港川中3年金城陽大さんは「対馬丸事件を風化させないようにしたい」と話した。 対馬丸は那覇港から長崎に向かう途中の44年8月22日深夜、米潜水艦の魚雷を受けて沈没。1500人近くが犠牲になった。生存者は宇検村など奄美大島で救助された21人を含む280人とされる。
南日本新聞 | 鹿児島
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