永姫没後400年、位牌完成 高岡・ゆかりの真言宗総持寺
●15日披露、薬師如来も20年ぶり開帳 加賀藩前田家2代前田利長の正室・永姫の没後400年に合わせ、高岡市関町の真言宗総持寺(そうじじ)は6日までに、永姫の位牌(いはい)を完成させた。これまで仮の位牌を置いていたが、節目に合わせ金をあしらった本位牌とした。15日から永姫が信仰したと伝わる薬師如来を20年ぶりに開帳するとともに、位牌を参拝者にお披露目し、高岡開町の祖である利長を支えた永姫の遺徳を伝える。 1609(慶長14)年、利長は高岡城を築く際、関野と呼ばれていた場所を「高岡」と呼んだ。総持寺の22代住職快雄が利長から命名を依頼され、中国の古典「詩経」の一節「鳳凰(ほうおう)鳴けり、かの高(たか)き岡(おか)に」から高岡と決めたと伝わる。 総持寺は病気治癒の仏「薬師如来」を安置し、利長の正室・永姫が厚く信仰した。厨子(ずし)と台座は永姫が寄進したものと伝わる。 永姫の本位牌は縦50センチ、横15センチで、全体に金粉をあしらい、永姫の法名「玉泉院殿」と記した。総持寺の依頼を受け、高岡市の大越仏壇が制作した。 ●利長支えた遺徳伝え 現在の仮位牌は2月に営まれた永姫没後400年の法要に向けて作られたものであり、今後末永く永姫をしのぶにあたり、新調することにした。8日には、薬師堂で本位牌の完成記念法要を営む。 没後400年の記念事業として、例年は1日限りの千手観音菩薩の開帳を15、18、19日の3日間実施する。合わせて秘仏の薬師如来も2003年の本堂再建の落慶法要以来20年ぶりに開帳する。本位牌は薬師堂で披露する。 永田龍祥住職(59)は、「厨子と台座とともに位牌を守り続け、利長を支えた永姫の功績を後世に伝えたい」と話した。 ★永姫 織田信長の四女で、前田利長の正室。1614(慶長19)年、利長が高岡城で亡くなった後は剃髪して玉泉院と称し、23(元和9)年に亡くなった。