<甲子園交流試合・2020センバツ32校>明石商、粘りでつかんだ「1勝」 息詰まる投手戦制す /兵庫
最後は勝って終わる―。2020年甲子園高校野球交流試合第5日の16日、明石商は桐生第一(群馬)との1戦にすべてをかけた。中盤まで息詰まる投手戦が続いたが、持ち味の粘りの野球で六回に2点を先制、八回には追加点を挙げて3-2で競り勝った。スタンドの保護者たちは、息の合った手拍子で選手たちを後押しした。コロナ禍もあったが、チーム一丸となり、甲子園での貴重な「1勝」をつかんだ。【中田敦子】 【真夏の熱闘】交流試合の写真特集はこちら 「うちは左打者が多いので、左投手は苦手」と語っていた来田涼斗主将(3年)の言う通り、桐生第一・宮下宝投手(同)の緩急をつけた投球に苦しんだ。三回には来田主将が内野安打を放ったが、得点にはつながらなかった。 1年夏から数えて「4回目」となる甲子園のマウンドに立った明石商のエース・中森俊介投手(同)は落ち着いた投球。スコアボードに「0」が並んだ。 流れを引き寄せたのは副主将の井上隼斗選手(同)だった。六回裏1死一、三塁でスクイズに失敗した福本綺羅(ひかる)選手(2年)をフォローするように、2死二、三塁で左前に2点適時打を放った。井上選手の父裕司さん(48)は「嫌な流れの中で、先制してくれてうれしかった」と喜んだ。 スタンドの保護者たちは新型コロナの感染防止のため、大声での応援を避け、隣の人と間隔を空けて座った。スタンドの下段には「今やらんかったらいつやるねん」と書かれた横断幕を掲げ、「明石商業」と黄色で縁取った赤いタオルやうちわで、静かに選手たちへエールを送った。 試合が終盤に差し掛かると、息の合った手拍子が鳴り響くようになった。いつものような吹奏楽部の演奏や応援団の声援がなくても「選手のために試合を盛り上げたい」という保護者らの思いは変わらない。手拍子に応えるように、ベンチの選手らは「もう1点いけるよ」と声を上げた。 七回表、桐生第一に1点を許したが、八回裏2死一、二塁で代打・山口瑛史選手(3年)が右前適時打を放ち3点目。相手に流れを渡さずに、競り勝った。明石商の校歌が流れると、スタンドの保護者たちも起立。首に巻いていたタオルを高く掲げて、選手たちをたたえた。 被安打5、奪三振9で完投した中森投手は「自分のピッチングには満足していないが『最後は勝って終わる』というチームの目標を果たせた」と話した。初めて甲子園の土を踏んだ植本拓哉選手(同)も「先制点を取ろうとみんなが一つになった。楽しく野球ができた」と笑顔だった。 3年生にとっては、この日が「引退試合」。試合後は明石商に戻って、部室の片付けをした。部室から扇風機や机、メガホンなど「お世話になった」品々を運び出し、秋の大会に向けて練習する後輩たちにチームを託した。コロナ禍の中でつかみ取った「甲子園での1勝」を胸に、選手らはそれぞれの道へ進む。 ◇兄の背追いかけ、目指した甲子園 明石商副主将、植本拓哉選手(3年)は2018年夏に出場した同校OBの兄亮太さん(19)に続いて、憧れだった甲子園の土を踏んだ。 2歳年上の兄の影響で、少年野球チーム「神戸北リトルリーグ」でプレー。当時はコーチとして兄弟を指導した槙尾達男さん(81)=西宮市=は、植本選手について「兄貴に負けまいと、自発的に1日150回の素振りをやっていた」と振り返る。先に明石商に入った亮太さんは18年夏の甲子園・八戸学院光星(青森)戦で2安打。活躍した兄の姿を見て「俺も絶対に甲子園に行く」と決意した。冬の厳しい練習にも耐え、20年のセンバツ前にはレギュラー入りしていたが、コロナ禍で中止に。「甲子園に出るために頑張ってきたのに」と残念がった。 初めての甲子園は二回裏1死一塁で送りバントを決めた。ヒットは出ず、兄のような活躍はできなかった。「悔しかったけど、甲子園で楽しく野球ができて最高だった」。試合後、亮太さんにこう伝えた。 ……………………………………………………………………………………………………… ■熱球 ◇「絶対に勝って終わる」 明石商・井上隼斗副主将(3年) 六回裏2死二、三塁で左前適時打を放ち、スコアボードに先制点「2」を刻んだ。2度目の甲子園は、5番として大役を果たした。ショートの守備では軽快な動きを見せた。 「日本一になりたい」と明石商に入学。2019年夏は2年生ながらもベンチ入り。準決勝で途中出場できたが、回ってきた1打席は凡退に終わった。「自分の力不足だから、しょうがない」。悔しさをバネに冬から体作りに励んだ。3回だった食事を1日5、6回に増やし、「休み時間の度に、おにぎりを食べた」。10キロ以上の増量に成功し、「今年こそ甲子園で活躍する」と気合を入れた直後だった。 実家に帰省中の5月20日、同級生から「甲子園中止やって」と連絡を受けた。父裕司さん(48)は「かける言葉が見つからなかった。その日は野球の話はしないようにした」。それでも、自粛期間中も「2キロ以上体重を増やす」というチームの目標を達成するべく、1日約1升の米を食べ続けた。全体練習がなくてもウエートトレーニングなどに励んだ。 迎えた桐生第一戦。六回裏、前の打者がスクイズに失敗し、2死まで追い込まれて迎えた打席。「甲子園で野球できるのはこれが最後。絶対に勝って終わるんだ」。バットを短めに握り、放った左前打で2点を先制した。 「大きな声援はなかったけど、やっぱり甲子園は広くて大きくていいな」。今年はブラスバンドやチアの応援は聞こえなかったが、「1勝」は何よりもうれしかった。「本音を言えば、もっと野球をしたかった」。この思いを大学へつなげる。【中田敦子】 ……………………………………………………………………………………………………… 桐生第一 000000101=2 00000202×=3 明石商 〔神戸版〕