曙さん、家族と訪れたUSJで目立ちすぎ…周囲に配慮しホテルごもり「寝てるから楽しんでおいで」…元担当記者が悼む
大相撲の第64代横綱でプロ格闘家としても活躍した曙太郎(米国名チャド・ローウェン)さんが、心不全のため、4月上旬に東京近郊の病院で死去していたことが11日、分かった。54歳だった。2017年にプロレスの遠征先で倒れてから入院生活を送り、リハビリに励んでいたが、容体が急変した。ハワイ・オアフ島出身、203センチの巨漢で史上初の外国出身横綱となり、同期生の若乃花、貴乃花の“若貴兄弟”と1990年代の相撲ブームを盛り上げた。葬儀・告別式は近親者のみで密葬として営まれる予定。 * * * 同い年の番記者として、こんな原稿を書くのは、あまりにも早すぎる。5月生まれの曙(以下敬称略)は4月生まれの私を「ちょっと兄弟子だから」と律義に「さん」付け、敬語で接してくれた。だが、酒の席になると違った。タニマチ(後援者)の影響もあって、“敬語のない”大阪弁になった。 大阪出身の私は「あれ歌ってよ」とよくリクエストされた。ミス花子の「河内のオッサンの唄」。「やんけ、やんけ、やんけ、やんけ、せやんけ、ワレ」と大阪弁をまくしたてる、ほとんどセリフのあの歌だ。「曙のオッサンの唄~」と替え歌で歌うと大はしゃぎしてくれた。曙が歌う「Tears In Heaven」(エリック・クラプトン)はいろんな感情がにじみ出ていた。思い出すと涙が出る。 家族と一緒にユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行ったことが思い出される。引退した年の2001年7月。名古屋場所後のオフを利用して、まだ断髪していない曙を“恐竜つながり”でジュラシック・パークのスペシャルゲストとしてアテンドした。夜のセレモニーに出演し、翌日は仕事抜きで遊ぶというプランだった。しかし、まげを結った巨漢はどんなキャラクターよりも目立ってしまい、パークで遊べなかった。 「部屋で寝てるから楽しんでおいで」。曙はクリスティーン夫人と小さかった長女・ケイトリンさんを遊ばせ、ホテルに閉じこもった。プライベートでは、周囲に迷惑がかかることを意識して小さくなっていた。手をつないではしゃぐ子ども同士の姿を後からビデオで見せた。今やケイちゃんは客室乗務員、ウチは孫ができたが、まだ55歳同士…いや、曙は目前だった。ずっと同い年でいてほしかった。(1997~2003年相撲担当・デジタル編集部長・酒井 隆之)
報知新聞社