大阪城に残る戦争の傷跡 観光客の足元にも機銃掃射痕が
大阪城に残る戦争の傷跡 観光客の足元にも機銃掃射痕が THE PAGE大阪
夏休み、大阪府内各地では連日多くの観光客が訪れ、にぎわいを見せている。大阪市中央区の大阪城も府内では有数の観光スポットとあって、外国人観光客も多く足を運び、笑い声なども響いている。だが、そんな場所も70年前には米軍のB29戦闘爆撃機が上空を飛来、焼夷弾(しょういだん)や1トン爆弾を投下され傷ついた。現在もその攻撃の傷跡が残されているのをご存知だろうか。
城にも1トン爆弾投下 それを物語るずれた石垣
明治維新後、大阪城内の敷地は陸軍用地に転用され、敷地内には大口径の火砲を主体とする兵器を生産するアジア最大規模の軍事工場「大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)」があった。 しかし、大阪大空襲で米軍の攻撃目標となり、終戦前日の8月14日には約150機にも及ぶB29の1トン爆弾投下などの集中爆撃を受け壊滅的な被害を受け382人が死亡した。また、敷地内では二番櫓・三番櫓など多数の櫓を焼失。近隣のJR京橋駅も電車が入線したところで同様の空襲を受け、500~600人とされる犠牲者が出たとされている。 その空襲の際、大阪城天守閣にも1トン爆弾が投下され、天守の石垣の東北隅と西南隅に1発ずつ命中。東北隅は直撃を免れたが石垣がえぐられて傾いた。現在も石垣がずれているのがわかる。そして、西南隅には石板が張られ、補修されている。また、天守閣の屋根にも無数の焼夷弾が落とされたという。
今も石垣に残る生々しい機銃掃射痕
天守閣北側にある山里曲輪石垣には、機銃掃射によってつけられたと思われる弾痕がたくさん残っている。その大きさは、直系30センチくらいのものもあり、その恐ろしさを形で伝えている。 石垣の前には「山里丸石垣の機銃掃射痕」という立て看板が設置され、このことを伝えている。この上を多くの観光客らが歩いて天守閣へ向かっているが、はずれに位置し、周囲には草も生えているため、あまりこの弾痕を見る人は少ない。
こうした戦争の傷跡を見て何かを感じてくれれば
13日もお盆休みということもあってか、多くの観光客でにぎわいをみせている。散歩をしていた近くに住むという60代の男性が、撮影中の筆者に話しかけてきた。 男性は「私らは戦争のことを親から伝え聞いているけど、今の子たちに伝えるというのは難しいね。こうした戦争の傷跡を見て、子どもらには何かを感じ語りついでほしいけどね」などと話していた。 あす14日午前11時からは、この大阪城からもほど近い、JR京橋駅南改札口そばの京橋慰霊塔の前で、慰霊祭が行われる。