ごきげんに生きる
他者と向かい合うとき、私たちには「二極化」が起こりがちです。ここでいう「二極化」とは、「自分」と「相手」という関係性を前提に、「相手よりも自分の方が優位(正しい)でありたい」という意識に「無意識に」囚われてしまうことです。結果として、勝ち負けにこだわってしまう。そうなると、 どちらが上で、どちらが下か? 自分は下に見られていないか? どちらの言っていることが正しいのか? などが気になります。 さらに進んで、相手を否定することで自分の正しさを証明しようとしたり、あるいは、意図的に自分を卑下することで、そうしている自分の方が正しいという感覚を得ようとしたりするなど、私たちは様々な方法で自分の「正しさ」にこだわり、それを証明することに忙しくなってしまう。 私は、日々、幸せでいたい、「ごきげん」でいたいと思っているのですが、そうならない時がときどきあります。この二極化という現象は、「ごきげん」でいられなくなる代表的な原因の一つです。
私たちは常に疑っている
そもそも私たちの脳は、自分自身を守るために「疑う」という機能をもっています。人と向き合うと「二極化」が起こるのは、そのためです。しかし、同時に、無意識のうちにその「疑い」は、自分自身にも向けられています。 振り返ってみれば、私たちはほとんどの時間、 これでいいのかな? 大丈夫なのかな? と、自分には問題のないことをチェックし続けているわけです。でも、チェックしているということは、つまりいつでも「不安」な状態にいるということです。 ただでさえ「不安」でいるところに他者が登場すると、それは「比較」という刺激になり、「不安」が増幅されてしまいます。でも、「不安」のままではいたくないので、何とか不安を解消し、「自分はこれでいいのだ!」と思い込むために、自分の「正しさ」の証明にこだわってしまうのです。 それは、人と関わるときに私たちが落ちやすい落とし穴です。 本来、相手との関わりを求めているはずなのに、「自分の正しさ」を証明しようとした瞬間、目の前にいる人は、自分の正しさを証明するための道具と化してしまうからです。相手は道具となり、その場にいっしょにいても「いない人」となってしまうからです。道具であれば、その人である必要もないわけですから。