“日本代表”としてアカデミー賞へ、黒沢清監督の『Cloud クラウド』を海外の批評家はどう見たのか?
日本映画界を代表する巨匠、黒沢清監督が菅田将暉を主演に迎え、ネット社会に蔓延る見えない悪意によって“日常”が破壊されていく恐怖を描く『Cloud クラウド』(公開中)。11月1日(金)からテアトル新宿での公開もはじまり、1か月以上経った現在もスマッシュヒットを記録している本作は、第97回アカデミー賞の国際長編映画賞の日本代表作品だ。 【写真を見る】廃工場のロケーションや、画面のなかで動く登場人物たちなど、黒沢清の“美学”を感じさせるショットが続々 アカデミー賞国際長編映画賞での日本映画の活躍といえば、第94回の際に濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(21)が受賞を果たし、昨年の第96回ではヴィム・ヴェンダース監督が役所広司を主演に迎えた『PERFECT DAYS』(23)がノミネートされたことも記憶に新しいところ。“外国語映画賞”と呼ばれていた時代から数えて、日本映画はこれまで15作品が同賞の本選にノミネートされ、2作品が受賞を果たしている。 すでに海外の映画祭に続々出品され、熱烈な賛辞を集めていると報じられている『Cloud クラウド』が、過去の名だたる日本映画たちに続く快挙を成し遂げることができるのかどうか、映画ファンの多くが期待を寄せていることだろう。そこで本稿では、本作に対する海外批評家からの具体的な反響を紹介しながら、新たな“世界のクロサワ”と呼ぶべき黒沢監督に向けられた世界での評価の変遷を辿っていきたい。 ■ヴェネチアからトロント、そして釜山。世界中の映画祭で熱狂を獲得 町工場に勤めながら、医療機器からバッグやフィギュアまで、安く仕入れては高く売り捌く“転売屋”としての仕事で日銭を稼ぐ吉井(菅田)。ある日、職場での昇進の話を断り辞職した彼は、郊外に事務所兼自宅を借りて恋人の秋子(古川琴音)と新しい生活をスタートさせる。地元の若者の佐野(奥平大兼)を雇って転売業も軌道に乗ってきた矢先、吉井の周囲で不穏な出来事が相次いで発生。それは吉井が無自覚のうちにネット社会にばら撒いていた憎悪が増長し、狂気を宿した集団へと実体化した姿だった。 8月下旬に行われた世界三大映画祭の一つ、第81回ヴェネチア国際映画祭で世界に向けてお披露目された本作は、続けざまに賞レースをうらなう重要作が相次いでお披露目されることでも知られるトロント国際映画祭で公式上映。そして日本での劇場公開を経て、10月には釜山国際映画祭でも上映。同映画祭で黒沢は、その年のアジアの映画産業に大きく貢献した人物を表彰する「アジア・フィルム・メーカー・オブ・ザ・イヤー」に輝いている。 世界中の批評家たちのレビューを集計・集積し、独自の方法でスコア(%)を算出する映画サイト「ロッテン・トマト」では、ヴェネチア国際映画祭でのお披露目以降に投稿された海外批評家からのレビューがまとめられている。そのなかでの好意的評価の割合は93%(10月28日現在)。これは、これまで海外でも多数紹介されている黒沢監督の作品群のなかでも5本の指に入るほどの高評価だ。 その一部を紹介していくと、 「Jホラーの巨匠、黒沢清が得意技を存分に発揮した作品。作品全体に恐怖感を漂わせながら、精密に演出された雰囲気のあるスリラーで、まさにファンの期待した通りの作品に仕上がっている」(ツァイ・マーティン「Award Watch」) 「オンラインでの転売業と資本主義全体の危険性についての風刺が、アクションとスリラーの融合によって巧みな演出のもとで比喩されている」(ジョーダン・ミンツァー「The Hollywood Reporter」) 「黒沢作品が長年描いてきた広範囲への精神的な苦痛と局所的な暴力の関係性を、些細な残酷さと苦々しい不満が無限に絡み合った現代社会のものへアップデートしている。特異な銃撃アクションで原点に立ち返った黒沢監督は、心理的な恐怖が以前ほど抽象的なものではないと示しているのだろう」(デヴィッド・エーリッヒ「Indiewire」) このように、黒沢監督の代名詞の一つでもある“スリラー”要素が、そのジャンル性を超越した社会的な寓話として、あるいはアーティスティックなものとして昇華されていることを讃える声が目立っている。 ■「暗闇と環境音をこれほど巧妙に展開できる映画監督はほとんどいない」 先述の「The Hollywood Reporter」の批評家ジョーダン・ミンツァーは「黒沢監督のストーリーは、奇妙で残酷で、時に突飛なものになることもあるが、彼はそれをシリアスなアートフィルムのように撮影している。それこそが彼が1990年代から映画祭の常連となっている理由であろう」と分析している。 黒沢清の存在が世界に知れ渡るようになったのは1990年代後半。日本でもセンセーショナルに受け入れられたスリラー映画『CURE』(97)がオランダのロッテルダム国際映画祭を皮切りにヨーロッパを中心とした各地の映画祭で紹介されたことがきっかけだ。当時は北野武監督の『HANA-BI』(97)がヴェネチア国際映画祭で金獅子賞に輝くなど、主にヨーロッパの映画祭を中心に日本映画への熱量が高まりを見せ始めた時期とも一致する。 卓越したジャンル映画の作り手としてその名を轟かせた黒沢監督は、ホラー映画『回路』(00)でカンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞。さらに2000年代後半以降は『トウキョウソナタ』(08)や『岸辺の旅』(15)といった、ジャンル映画とは一線を画すようなテイストの作品も高い評価を集めるようになり、『スパイの妻 劇場版』(20)ではヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞する。 そしてこの2024年、黒沢は1998年に発表した自作をフランスでリメイクした『蛇の道』(24)と、中編映画『Chime』(24)、そして『Cloud クラウド』の3本の中長編を一挙に発表。いずれもジャンル映画に回帰した作風であり、国際的な評価を確固たるものとしたタイミングで、自身の原点へと立ち返る挑戦に打って出たと捉えることができるだろう。 つまりは2000年代まではジャンル映画の作家として、それ以降はアートフィルムの作り手として世界で評価されてきた黒沢監督は、2020年代に入り、その両面を両立させた稀有な作家としての地位を築き上げようとしているともいえる。ジャンル映画とアートフィルムはまるで正反対なものと思われがちではあるが、あながちそうとは言い切れない。少なくとも、強烈な作家性を用いてジャンル映画を完遂させる黒沢監督の作品がそれを証明しているのだ。 「黒沢清のような突拍子のないストーリーは、三池崇史やジョン・ウーのような作家の大胆な映画作りと比較されることになるかもしれないが、彼の美学に基づいた技巧を好む点で異なっている。暗闇と環境音をこれほど巧妙かつ効率的に展開できる映画監督はほとんどいないだろう」(ツァイ・マーティン「Award Watch」) 「黒沢のフレーミングは、その恐ろしい対称性の一部をスタンリー・キューブリックから受け継いでいることは明白だが、その内部空間は極めてシンプルなもの。焦点や照明デザインの慎重なグラデーションや、演技のトーンの決定的な転換によってそれを恐怖の場所へと変貌させる」(アダム・ネイマン「Film Comment」) このように海外の批評家から寄せられる黒沢監督の作家としての評価の多くが、画面や音という、映画の原初的な部分を尊重した作り込みの精巧さを備えているという点だ。ストーリーやテーマといった部分に重きが置かれがちな昨今の映画作りにおいて、あえて突飛なストーリーテリングで観客を惹きつけつつも、画面に映るもの(またはそこに映らないもの)をいかに表現していくか。それは自ずと、映画館のスクリーンで映画を観るという体験としての価値を高めることにもつながっている。こうした黒沢監督の“美学”と呼ぶべき姿勢は、初期の作品からもまざまざと窺うことができるはずだ。 黒沢監督自身も、以前MOVIE WALKER PRESSのインタビューのなかでこう語っている。「スマートフォンで映像を観ている人は、その小さな画面で観ても成立するように作品作りをしていると思います。でも私の場合は逆のアプローチで、もしかしたら小さな画面に向けて作っているものでも、映画館の大きなスクリーンでかかるかもしれないと考えるようにしています。小さい画面だからといって油断をしてはならず、どのように観てもらえるのかはその時次第。なので、自分の好みや自分が信じるやり方でやっていくしかない」。 この美学は、黒沢監督が東京藝術大学大学院映像研究科で教鞭を執っていた時代の教え子の一人である濱口竜介が、かのような活躍を遂げる映画作家へと成長したことでより大きな意味を持つことになったといっても過言ではないだろう。濱口は以前、「The Academy」のインタビューにおいて「黒沢監督は師でありメンター。私は常に大きな影響を与えられてきました」と語っているほどだ。 そんな“弟子”の濱口が世界的な注目を集めた舞台でもあるアカデミー賞。“師”である黒沢監督の作品が国際長編映画賞の日本代表に選出されるのは今回が初めての機会。第97回アカデミー賞のノミネート発表は来年1月中旬だが、国際長編映画賞は12月中旬に一次選考のショートリストが発表されることになっている。まずは黒沢監督の美学が存分に込められた『Cloud クラウド』を劇場のスクリーンで隅々まで味わい、吉報の到来を待つことにしよう。 文/久保田 和馬
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