【少年の気持ちを弄び…】ジャニー喜多川と三島由紀夫の「運命」を交錯させた「恐るべき上昇志向」
二人の「傑物」の共通点
三島由紀夫とジャニー喜多川には、多くの共通項がある。まず、①同性愛だ。三島は結婚して2人の子供がいるので、正確にはバイセクシャルということか? 【画像】ジャニーズ事務所を陰で支えた「知られざる父」衝撃の素顔写真…! とはいえ、出世作『仮面の告白』では、女を愛せず男にしか性欲がわかない主人公で私小説風の作品にして、注目を集めた。 三島は本当に同性愛者か? 後に、三島と関係を持ったとする男性による告白小説(三島からの手紙を披露した)等で、現在ではほぼ事実であるともいわれている。 ジャニー喜多川の場合は、数多くの未成年男子に対する性加害を事務所サイドが認めているので、もはや言わずもがなだろう。 続いて、②世界的名声とスキャンダル。 三島はノーベル賞候補となり、数多くの作品が世界各国で翻訳され、読まれている。国際的な文豪だ。 衝撃的な割腹自殺で、MISHIMA=HARAKIRIのスキャンダラスなイメージが世界中に流布している。 ジャニー喜多川は、ギネスブックに名を刻んだレジェンドだ。世界でもっとも多くヒット曲を生んだプロデューサーである。 ところが死後、英国のBBC放送によるドキュメンタリーで数多くの未成年男子に対する性加害が暴かれた。人類史上最悪の性加害者とも呼ばれ、世界的スキャンダルになった。 三島は、楯の会という組織を結成した。男子学生らを集めて、派手なミリタリー制服を着せて、若者らと共に示威行動を展開する。 他方、ジャニーズ事務所は若い男子アイドルを多数輩出した特異な芸能プロダクションだ。 つまり、③同性愛者の男性が、若年男子を集めて派手なパフォーマンス集団を結成した。 三島が楯の会の会員に性加害に及んだ事実はない。しかし三島と共に割腹自殺を遂げた男子学生がいた。これは愛する二人の情死であり、心中であるという説も根強い。 ◆三島とジャニーの面識は……? 両者は、④意外なほど背が低い。 三島は身長163㎝といわれるが、いや、もっと低かったという声もある。 ジャニー喜多川の身長は非公開だが、150㎝台であろうといわれている。 三島は小柄でひ弱な肉体に強烈なコンプレックスを抱き、30歳を過ぎてからボディビルに励んで筋肉ムキムキとなった(同様に、ひ弱な肉体をボディビルで改造する“三島コンプレックス”の持ち主として、松本人志、長渕剛らが挙げられる。奇しくも性加害疑惑が報じられた面々だ)。 ジャニー喜多川はボディビルこそやらなかったが、常にヒールの高い靴を履いていたという。 さて、これだけ共通項を持つ三島由紀夫とジャニー喜多川だが、二人は会ったことがあるのだろうか? 三島の小説『禁色』は、同性愛者の世界を大胆に描いた問題作だ。昭和26年~28年に雑誌連載された。当時のゲイバーや同性愛者のハッテンバ(交流場所)を広く取材している。 銀座のゲイバー・ブランスウィックもその一つだ。そこで三島は若き美輪明宏と出会っている。 〈ブランスウィックの客とボオイの写真が残っているが、客にはGHQや米軍の関係者が多かった。(略)三島は早くから彼らと交流があった〉(井上隆史「三島由紀夫略伝」/『三島由紀夫小百科』) ちょうどその頃、ジャニー喜多川は朝鮮戦争に従軍後、アメリカ軍族として代々木の米軍施設ワシントンハイツに住んでいた。少年たちを集めて野球チームを作り、それが後のジャニーズとなる。 三島の『禁色』にも米国人のゲイらが登場するが、先のブランスウィックの多数の客であったという米軍関係者らの中に、ジャニー喜多川がいても何ら不思議ではない。 そうだ、三島とジャニーは会っていた!? ……そんな想像がふくらむのである。 ◆またも「ジャニー喜多川に重なる」人物 小説『禁色』は、絶世の美青年・南悠一が主人公だ。彼は、女を愛せない同性愛者である。醜い老作家・檜俊輔は、この美青年を我が物として、彼を操り、女たちに復讐してゆく。 今、気づいた。なるほどそうかーー。この檜俊輔こそ、ジャニー喜多川ではないか! すると彼に操られる美青年・南悠一は、プロデュースされるジャニーズのアイドルたちである。この物語の女たちが不幸のドン底に突き落とされたように、現在、ジャニーズファンの多くの女性たちが傷つけられているのだから。 まさに、リアル『禁色』である。 『潮騒』を筆頭に三島の小説は数多くが映画化されている。が、なぜか『禁色』だけは一度も映像化されていない。三島夫人がこの小説をひどく嫌っていたともいう。なるほど、夫のゲイ疑惑を広めたくなかったのだろう。 しかし、もし『禁色』が映画化されることがあったなら、美青年・南悠一役は、ぜひ旧ジャニーズ出身のタレントに演じてほしいものだ。 さて、最後に残った一つの謎がある。 〈三島由紀夫とジャニーズ〉をつなぐ線、それはメリー喜多川の夫であり、ジュリー景子の父、三島の学習院の後輩である、藤島泰輔だった。〈ジャニーズの「隠れた父」〉である。 その藤島と義弟であるジャニー喜多川とは、いったいどういう関係にあったのか? ジャニーの発言にも、藤島の著作にも、それは見つからない。そう、まったくの謎なのだ。 ◆上昇志向につけこんで…… かつての学習院初等科は、皇族や旧・華族、貴族の子弟が多く学んでいた。三島由紀夫も藤島泰輔も、平民家庭の出身である。ゆえに両者は強いコンプレックスを植えつけられた。 三島は王朝文学への憧れが濃く、最後は「天皇陛下万歳!」と叫んで腹を切った。 藤島は皇族の御学友を売り物にした。偽フランス人(ポール・ボネ)になりすまして、日本人を見下ろす。終生、強烈な上昇志向に憑かれていたのだ。 『日本の上流社会』と題する藤島の著書がある。〈高貴なる秘境を探検する〉の副題の、これこそ藤島の上流志向の産物だ。1965年刊。 翌1966年、初代ジャニーズの弟分グループとして、「ハイソサエティー」が結成された。6人組の少年バンドである。 この「ハイソサエティー」こそ、実は先の藤島の著書『日本の上流社会』に由来して命名されたグループなのだ! なんと藤島の著書に由来して、ジャニー喜多川が新グループを世に送っていた。ここに2人の接点が存在したのである。 ハイソサエティーは何度かメンバーが変わる。 その1人が、後にジャニー喜多川から受けた性被害を告白していた(『さらば!!光GENJIへ』、1989年刊)。 〈ねえ、ソロにしてあげようか。やってみたいんだろう〉 それがジャニーからの甘い誘いだったという。 あまりにも、あからさまである。ハイソサエティー。すなわち、芸能界の上昇志向をエサに、少年の性をむさぼろうとしていたのだ。 ひ弱な肉体を脱して超越性を志向し自決を遂げた、三島由紀夫。虚飾の上流社会幻想を生きた、藤島泰輔。そして、グロテスクな性的ハイソサエティー、ジャニー喜多川。 今、ここに3つの数奇な星が重なるのを見るかのようだ。 昭和100年のこの現代を、そのまがまがしい星たちの光がくっきりと照らし出している。 取材・文:中森明夫
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