追悼・さくらももこさん デタラメと天才
透視図法の発達
実はさくらの絵には『源氏物語絵巻』の影響が脈づいているのだが、ここで簡単に西洋と東洋の画法の歴史を追ってみよう。 中国や日本では早くから紙が発達していたので、絵も書と同じように、紙に筆と墨で描くものであったが、西洋では15世紀まで紙が未発達で、絵は建築にレリーフとして彫り込まれ、あるいはモザイクタイルやフレスコ画のように仕上げ材として固着されるものであった。したがって画家は、西洋では彫刻家に近く、東洋では書家(あるいは文人)に近い。彫刻家でもあり画家でもあったミケランジェロと、俳人でもあり画家でもあった与謝蕪村を比べればよく分かる。 古代エジプトやメソポタミアのレリーフでは、人間を横から描き(彫り)、腕と足を二本ずつ描く(彫る)ので、不自然な姿勢になることが多かった。ギリシャでは、レリーフに代わって完全な彫像がつくられるようになり、これがきわめてリアルなものとなったので、絵画にもリアリズムが発達した。 しかし中世ヨーロッパでは、ほとんどの絵画が宗教画であり、キリストとマリアを大きく、その他の聖人を小さく描く習慣となった。つまりリアリズムより宗教的意味が重視されたのだ。 イタリア・ルネサンスにおいて古典が復活し、たとえばラファエロのようなギリシャ的リアリズムの美術が絢爛と開花する。遠近法の発達も著しく、現在に近い正確な透視図法が現れた。レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』では、遠くのものは空気の厚みを感じられるようにボンヤリと描き、建築の奥行きをもつ平行線は一点に収束している。
『源氏物語絵巻』の画法
中国や日本では、紙に筆と墨で描く「東洋的線描」が発達したが、中国では水墨そのものの味を重視した水墨画が、日本では細い線描に植物染料などによる色づけをする大和絵が発達した。その大和絵が生活文化として様式化したのが「絵巻」である。『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻』『伴大納言絵詞』は圧巻だ。特に源氏絵巻は、室内の描写が多いので、屋根天井を取り払い、正面を立面図的に描いて、鴨居や畳など平面の平行線を斜め平行に描く。これは吹抜屋台とも呼ばれる画法で、さくらももこの画法にも通じるのだ。おそらく本人は意識していないが、文化というものは何かしら連続しているものである。 時代は下って江戸の浮世絵、北斎や広重の極端なアングルによる遠近法(遠近感)はヨーロッパの後期印象派の画家たちを驚かせた。絵巻物を広げながら時間を追うという物語性がマンガの画面構成につながり、浮世絵の庶民性、日常性、ドラマ性、そして何よりもプリント(木版)であることが現代のマンガ本出版につながる。そう考えれば、戦後日本のマンガ文化にもそれなりの伝統があるということになる。