クイーン来日記念 ファンに愛されてきた永遠の名曲TOP10
8位→6位
8位 「ショウ・マスト・ゴー・オン」(原題:The Show Must Go On) フレディ・マーキュリーは、クイーンが1991年にアルバム『イニュエンドウ』の制作に取り掛かったとき、自分の肉体が急速に衰えていることを知っていた。 彼は最後の傑作を完成させようと決意し、ブライアン・メイは彼の信じられないような意欲に刺激されて「ショウ・マスト・ゴー・オン」を書き上げた。 この反抗と希望の曲はアルバムの幕切れを見事に飾っている。フレディがこれほど力強いボーカルを披露した例はほとんどない。 当時のビデオを見ると、彼がどれほど衰弱していたのかよくわかる。このアルバムをサポートするためのライヴを実施することは叶わず、フレディはアルバム発表の9カ月後に亡くなった。 7位 「アンダー・プレッシャー」(原題:Under Pressure) デヴィッド・ボウイは、クイーンの1982年のアルバム『ホット・スペース』のレコーディング中にスイスのマウンテン・スタジオに立ち寄り、「クール・キャット」のバッキング・ボーカルを録音した(※ボウイが自らの歌唱に満足がいかなかったため、その部分は消去された)。そのセッション中、クイーンの4人とボウイは、キラー・ベースのグルーヴを軸にした新曲のジャムに取り掛かった。 その結果、1981年10月に発表された「アンダー・プレッシャー」は世界的なセンセーションとなった。 この曲はクイーンのライブ・キャリアの終わりまでセットリストに居続け、ボウイも90年代から2000年代初頭にかけて披露していた。 残念なことに、1985年のライヴ・エイドで2組続けてパフォーマンスしたにもかかわらず、彼らはこの曲を一緒に演奏することはなかった。 6位 「愛という名の欲望」(原題:Crazy Little Thing Called Love) フレディ・マーキュリーはギターをほとんど弾けなかったが、1979年のあるときにアコギを手に取り、およそ10分で「愛という名の欲望」を完成させた。 ディスコやパンク・ムーブメントの絶頂期に書かれた同曲は1950年代のロック、特にフレディのヒーローの一人であったエルヴィス・プレスリーへの回帰である。 この曲はアメリカで、彼らにとって初のNo.1シングルとなった。