ボランティア不足の能登被災地、ミャンマー人が「日本に恩返し」
片道13時間かけて支援に
能登地震の発生後、大槻さんのような在日ミャンマー人によるボランティアや募金活動が続いている。 在日20年以上で、ケアワーカーとして働くミントンさん(41)は、東京から既に3回、在日ミャンマー人の仲間たちとともに能登でのボランティアに参加。1回目と3回目は七尾市で損壊した住宅の片付けの手伝い、2回目は珠洲市で炊き出しを行った。 ミントンさんは「ミャンマーでクーデターが起きてから、避難民支援のための募金活動をしており、協力してくれる人がたくさんいました。日本人が困っている時は、少しでも恩返ししたいという気持ちです」と話す。 「3月に珠洲市に行ったときは、道が狭く一方通行だったこともあり、東京から車で13時間かかりました。でも私たちの大変さは一時的。現地の人の方がもっと大変だから、そうした苦労も我慢できます」(ミントンさん) 被災地への募金活動も進められている。東京・日暮里のミャンマー料理店「Spring Revolution Restaurant(SRR)」は、能登地震の発生後すぐに被災地へのチャリティービュッフェを実施。売上の約7万円を被災地に寄付した。 オーナーのレーさんもまた、大槻さんやミントンさんと同じように、「日本人への恩返し」という言葉を口にする。生まれ育ったミャンマー北西部ザガイン管区の町は、昨年11月に国軍による空爆を受け、町ごとなくなってしまった。そうした母国の現状も、能登の被災地の様子と重なるという。 「町が空爆される少し前に、なんとか母親を日本に連れてくることができました。しかし私の育った町も家も、もうなくなってしまいました。戻ることは難しく、どれだけの被害が出たのか、確認することすら難しいのです。そうした悲しみが共感できるので、能登の人たちを支援したいと思いました」(レーさん)
「慢性的にボランティア不足」
一方、能登地方では地震発生から5カ月が経過しているものの、いまだに瓦礫の撤去が進んでいない地域も多く、過去の地震被災地と比べたボランティア不足が懸念されている。 4月の炊き出し会場となった観光・地域交流センター「コンセールのと」の周辺では、地面のコンクリートが隆起したままになっている場所や、半壊したままの住宅などが残り、地震の被害をいまだに痛々しく物語っていた。一部の地域では、依然として水道が使えない状況が続いていた。 被災地支援を行っている岐阜県郡上市のNPO法人「森の遊学舎」の大西琢也・代表理事(防災士)は、「慢性的にボランティア不足が深刻な状況。人々の関心も、他の大震災と比較して低いように感じる」と指摘する。 「近隣県からなら、日帰りでも可能なことはあります。遠くからなら1泊でも2泊でも、ぜひ来てほしいです。災害ボランティア経験の有無にかかわらず、支援物資の仕分けや炊き出し、賄い、簡単な事務作業のほか、被災された家の内外の掃除、ブロック塀の撤去や墓石を起こすといった作業などもあります」(大西さん) 大西さんによると、現地では技能実習生が被災する事例もあり、そうした外国人を支援する民間ボランティア団体の参画も進んでいるという。能登の被災地ではさまざまな支援が依然として必要とされる中、日本人、外国人を問わないボランティアの助けが求められている。
東南アジア専門ジャーナリスト 泰梨沙子