「17歳でヤクザ→前科7犯・服役7年→神学校」埼玉・川口のスナックで教会を立ち上げた"元ヤクザ牧師"の来歴
■刑務所のなかで聖書と出会う 前述した3回の服役は、いずれも覚醒剤取締法違反です。出所すれば、その反動からまた薬物に手を出して、揉め事を起こして逮捕される。生活が荒(すさ)んで自暴自棄になり、ヤクザ稼業もおざなりになって、組からは破門される始末です。気づけば私は前科7犯になってしました。私は普通の仕事をまともにできなかったどころではなく、ヤクザすらもやり遂げられなかったのです。 とはいえ、破門された後も覚醒剤を断てず、ツテのある売人から覚醒剤を仕入れ、足がつかないようにホテルを転々としながら、その日暮らしの生活を送っていました。 もう堕落した生活はこりごり、覚醒剤やヤクザから足を洗いたい――。気づけば30歳になっていた私は、3回目の服役中に、そう痛感しました。当時、同棲して子供も授かっていた女性に捨てられ、だいぶ堪(こた)えていたのです。 ただ、学歴や貯蓄もなければ、小指も詰めていて、頼れる堅気の仲間もいない。すでに年齢は30歳。袋小路な状態を抜け出せるとも思えず、ただただ塀の中で絶望していました。 そんなとき当時の交際相手が、最後の面会で置いていったのが旧約聖書でした。いま思えば、これがキリスト教との出会いになります。 聖書を手にした時、「ミッション・バラバ」という元暴力団員で構成された、日本の伝道団体があるのを思い出しました。元ヤクザが牧師なんて偽善で胡散臭いと思いつつも、罪を重ねてきた人たちが、入れ墨を出して堂々と活動している姿が羨ましくもあった。そうした気持ちから、私は暇を持て余した拘置所で、聖書に救いを求めてページをめくるようになりました。 ■「立ち返れ、お前たちの悪しき道から」 はじめは内容もまったく分かりませんでしたが、途中から物語性を帯びて少しずつ面白くなっていく。そこからは大河ドラマのような展開が続き、刑務所で時間を潰すお供になっていきました。 そして、33章11節を読んだ時、視界が一気に開けたような感覚が訪れるのです。その一節には「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から」と書かれてありました。このとき「ヤクザでもクリスチャンになれば社会復帰できる。神から見放されることはないんだ」と、漠然と希望が湧いたのを覚えています。 そこで、より聖書の内容を理解しようと、信徒伝道者と文通することにしました。実際に、私が服役していた刑務所では、受刑者と文通する信徒伝道者がいたため、その人にコンタクトを取ったのです。 手紙のやり取りを重ねるにつれ、私のような半端者にも、赤の他人が手を差し伸べてくれる事実に深く感激しました。気がはやいですが、その頃には私も牧師になって、道を踏み外した人を救済しようと使命感に駆られていたのです。