西田敏行が語る、丹波哲郎。その見事な生涯
---------- 『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』『人間革命』など大作映画に主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」と言われた、大俳優・丹波哲郎。 そんな丹波が、「霊界の宣伝マン」を自称し、中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。 数々の名作ノンフィクションを発表してきた筆者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑む。丹波哲郎が抱えた、誰にも言えない「闇」とはなんだったのか――『丹波哲郎 見事な生涯』より連載形式で一部をご紹介。 ---------- 西田敏行が震えあがる二大名優の共演。そして「大霊界」への誘い
魂は生きつづける
「お~い、西田ぁ! いるかぁ!?」 野太い声が病院の廊下に響き渡り、俳優・西田敏行の個室に近づいてくる。 西田は変名で極秘入院していたのに、丹波哲郎にはなぜか見破られてしまった。 それから3年半余りが過ぎた2006年(平成18年)9月30日、丹波哲郎の告別式が、東京・乃木坂の青山葬儀所でおこなわれた。 黒柳徹子に続いて、映画界の後輩にあたる西田が、丹波の遺影に正対して弔辞を述べる。 「丹波さん……、先年、私が心筋梗塞で死のふちに立ったときに……まだ『面会謝絶』の札を下げて病室で養生しておりましたときに、廊下をずかずかと歩いてこられる足音がしました」 唐突に、西田が丹波のものまねを始める。 「ああ、大丈夫だ、大丈夫だ! オレ、知ってるんだ、大丈夫なんだよ、平気なんだよ!」 本人そっくりの声色に、笑い声が小波(さざなみ)のように会場全体に広がる。 病床にあった西田には、女性看護師の「困ります」「面会謝絶なんです」という当惑気味の声も聞こえていた。 「まあ、通しなさい! 顔を見るだけなんだから、まあ、通しなさい!」 まもなく個室のドアをあけ、丹波が顔をのぞかせる。西田は、心電図モニターなどに何本ものコードでつながれていた。西田と目が合うと、丹波はうれしそうに歩み寄ってきた。 「丹波さん……、あのとき、あなたは20秒ほど私の顔をご覧になって、『大丈夫だ、おまえは大丈夫だ。まだこの世での修行が足りないから、もう少し修行しなさい』とおっしゃいましたね。私は死のふちに立っておりましたが、生きる活力が湧いてきたのをよく覚えております」 やがて丹波は、偶然にも同じ病院の、西田が入っていた個室に移り、84歳の生涯を終えた。 「あなたは、『死んでも隣町に行くようなものだ』とおっしゃっていたのですから、もう帰ってこられて、そこの棺のそばに立っておられるんじゃないですかねぇ。こうしてお経を聞きながら……。あなたには、自由で豊かな心を与えていただきました」 弔辞の最後に、西田は万感の思いをこめて呼びかけた。 「丹波さん……、お見事な生涯でございました!」