【盾の勇者の成り上がり】藤川千愛が表現した“好き”という気持ち!
歌手になりたいと言ったら先生に鼻で笑われた
――最新アルバム『内の臓が愚痴をこぼすもので』にはそんな2曲のほか、岡山県井原市 市制施行70周年記念ソング「普通じゃない世界を知らなかった僕ら」も収録。 藤川:岡山県井原市は私の出身地で、小学校の時の先生から、コロナ禍に学校生活を過ごした学生たちに特別な体験をさせてあげたいという依頼をいただいて、学生と一緒に制作しました。学生のリアルな言葉を反映させたいと思い、今の学校生活に対する思いとか未来に対する思いなどアンケートを採ったり、オンラインインタビューなどを重ねて、学生たちの思いを汲み取って作詞をしました。 ――やはりコロナ禍の学校生活は苦しかったのでしょうね。 藤川:私もそういうイメージを勝手に持っていて。ずっとマスクをしていて、修学旅行などの学校行事が中止になったりで、きっと不満がたくさん出てくるだろうと思っていたんです。でもアンケートを見たら不満の言葉はほとんどなくて、今の自分たちの環境の中で自分たちなりの青春を見つけて最大限楽しんでいる姿に、“ハッ”とさせられました。確かに自分が学校生活で何が楽しかったか振り返ってみても、学校行事はもちろん楽しかったけど、やっぱり友だちとくだらないことで笑い合ったことが一番思い出に残っているんです。そういうことを歌詞にしたり、先生の立場からはなかなか言えないような、私のようなはみ出し者だからこそ言えるアドバイスを忍ばせたりしました。 ――藤川さんの学生時代は、はみ出し者だったんですね。 藤川:ルールに縛られるのが嫌いでした。子供の頃から歌手になりたいと思っていたのですが、周りから「なれるわけがない」と言われ、先生に鼻で笑われたこともありました。やっぱり先生って、こうあるべきとか逃げちゃだめだとか、言い方は悪いけど正論を押しつけるところがあって、生きづらさをずっと感じていました。そういう自分の経験から、Dメロで〈逃げたいときは躊躇なく逃げて 怠けるときはとことん怠けてさ 弱さなんか隠さなくていい〉と書きました。逃げることも選択肢のひとつで、逃げたからこそ新しい可能性や道が見えることもあるし、立ち止まったり逃げることは全然悪じゃない。「逃げないことで自分の心を壊すくらいなら、どんどん逃げなよ」って伝えたくて、ここは私からの手紙のような気持ちで書きました。実際「ここのフレーズが刺さりました」という感想を、生徒たちからたくさんもらってうれしかったです。
榑林 史章