2000億円をだまし取り、32歳で殺された… 「老人を強引に勧誘」「大手グループを装う」豊田商事会長の“むごい手口”と“悲惨な末路”【戦後犯罪史】
被害総額2000億円とも言われる悪徳企業・豊田商事による一連の巨大詐欺事件は、衝撃的な結末を迎えた。1985年6月18日、逮捕目前とされていた同社の会長宅にマスコミが押しかけている最中、男二人が部屋に押し入り、会長を刺殺したのだ。殺害事件の生々しい模様はテレビ中継され、多くの人がお茶の間でそれを目の当たりにした。この一連の事件は、どのような経緯で起きたのだろうか? 膨大な被害を生んだ同社の詐欺手口と、事業が拡大して社会問題となり、衝撃的な終幕を迎えるまでの流れを振り返ってみよう。 ■投資ブームの中、高齢者をターゲットに詐欺ビジネスを展開 少子高齢化が深刻な問題になっている日本において、高齢者を狙った詐欺は多岐にわたり、その手口は巧妙化、細分化している。 もはや古典的なパターンともいえる振り込め詐欺をはじめ、還付金詐欺、架空請求詐欺、投資詐欺、訪問販売詐欺、ロマンス詐欺、リフォーム詐欺、買取詐欺、テクニカルサポート詐欺……これらの詐欺手口は、高齢者の心理的な弱みや知識の不足を利用して金銭を騙し取ることを目的としたものだ。 本稿で取り上げる「豊田商事事件」は、携帯電話やインターネットが普及する遥か以前に発生した、悪質な詐欺犯罪のルーツともいえる出来事である。 80年代初期の日本では、資産運用や株式投資に対する関心が高まりだしていた。そんな時代に悪質ビジネスを展開したのが豊田商事であり、中心に永野一男という人物がいた。 永野は職を転々とするうちに商品先物取引に傾倒したことをきっかけに、短期間で巨額の利益を得ることに強く執着していった。手始めに違法な純金の先物取引のノミ行為などを行っていたが、198 1年より「ペーパー商法」といわれる詐欺ビジネスを大々的にスタートさせた。 ■高齢者に親切にしたあと、無理やり証券を売りつける 具体的な手口を確認しよう。まず、「テレフォンレディー」と名乗る女性オペレーターが、一般家庭に無差別に電話営業を行う。当時は個人情報に対する考え方が今と異なり、「日本電信電話公社(NTTの前身)」が発行する「50音別電話帳(後のハローページ)」に、ほとんどの世帯の電話番号が掲載されていた。 テレフォンレディーは相手が高齢者であった場合や、話の内容に興味を示した場合に猛プッシュを始め、生活環境や資産状況を聞き出し、営業担当者が訪問するためのアポ取りを行った。 高齢者宅に訪れた営業担当者は、まず親切に振る舞い、身の上話を聞き、仏壇に線香を上げ、庭先を掃除するなどして相手の懐に入り込むよう務めた。 その上で、「今、純金を買えば多額の利益が得られる」と持ちかけ、「自宅で保管すると盗難の恐れがある」「実物は当社で管理し、有利に運用する」「賃借料を前払いする」と言葉巧みに説明し、純金そのものではなく「純金ファミリー証券」という紙を強引に売りつけたのだ。 相手が購入を拒否しても、営業担当者が何時間も居座り、根負けさせることが常態化していた。 ■「多数のテレビCM」と「大手グループのような社名」で信用を得る 表向きは、客が支払った代金で購入した純金を豊田商事が預かり、「純金ファミリー証券」はその預り証ということになっていた。顧客は、純金を豊田商事に預けることで賃借料を受け取れるシステムだとされた。ただし、実際には豊田商事は純金を購入することなく、集めた資金を他の目的のために流用していた。 このようなブラックなビジネスは、それを承知の上で働く社員の存在なしには成立しない。永野は高額の歩合給と厳しいノルマという“アメとムチ”で、高齢者の財産を詐取することを厭わない人材を育てていった。 また、テレビCMを流し、芸能人を招いたパーティを開くなどして、社のイメージアップも怠らなかった。そもそも「豊田商事」という社名も大手自動車メーカーの関連会社だと誤解させる効果を狙ったものであった。 この手法により、豊田商事が集めた資金は2000億円に達したといわれる。 ■「純金ファミリー証券」詐欺の欠陥 しかし、「純金ファミリー証券」による詐欺システムには大きな穴があった。契約上、この証券には賃借期限が設定されており、それが過ぎれば豊田商事側は顧客に純金を償還する必要があった。 実際には純金を購入していないため、償還時には相当の資金が必要となる。詐欺を行う側としては、賃借期限は長いほうが都合は良かったが、長い設定の証券はあまり売れなかった。 結局、純金を購入する資金を捻出するために、期限が短い証券をさらに売り続けるしかなかった。破綻することは目に見えていたのだ。 ■新たな詐欺手法「レジャー会員証券」 そこで豊田商事と関連会社は、1984年頃より新たに考案した商材「レジャー会員証券」の販売をスタートさせる。 これにはゴルフとマリンレジャーの二系統があった。ゴルフの場合は、まず交通の便の悪さからつぶれかけたゴルフ場や、事業計画が破綻しているゴルフ場開業予定地などを買い集めた。そして、表向きの体裁を整え、豪華なパンフレットを作ることで、一流の施設のように見せかける。 その上で、系列全ゴルフ場で利用できる共通会員権を販売した。特に推し進めたのが「オーナーズ契約」というものである。これは、顧客が購入した会員権を豊田商事側に賃借し、その代わりに「会員証券」と賃借料を受け取る仕組みであった。それを主にゴルフに関心のない高齢者などに対し「有効な資産運用の手段だ」とゴリ押しした。 「オーナーズ契約」を結んだ顧客はゴルフ場を利用しないため、豊田商事は施設のキャパシティを考慮する必要がなく、純金ファミリー証券と違い、実物の償還も求められなかった。これにより、豊田商事は無尽蔵に「会員証券」を販売することができた。 ■大規模に事業を拡大させ、「銀河計画」で統括 詐欺により多額の資金を集めた豊田商事は、同時期に、子会社や関連会社を次々と設立。不動産、貿易、新聞、旅行、航空、宗教など、ビジネスの幅を広げようとした。グループ会社は国内だけで100社以上に達し、それらを統括する「銀河計画」という会社が存在していた。 関連会社の一つに、「ベルギーダイヤモンド」があった。その販売システムは、ダイヤモンドを購入して会員となった者が新たな会員を勧誘する、いわゆる“マルチまがい商法”だった。 肝心のダイヤモンド商品は資産価値のあまりない粗悪なものだったが、テレビCMでブランドイメージをアップさせ、高価で販売していた。このように、銀河計画傘下の会社はブラックなビジネスが前提のものか、中身のないペーパーカンパニーがほとんどだった。 当然、事業を拡大すればするほど目立つことになり、被害者の声は大きくなる。結果、豊田商事の悪徳商法がメディアで報じられる機会が増えていく。ついには国会でも取り上げられ、1985年には関連会社社員のなかに逮捕者が出る。豊田商事に破滅のときは迫っていた。 そんな頃、衝撃的な事件が起こった。 ■カメラの前で永野が殺害され、豊田商事は崩壊へ 1985年6月18日、大阪市内にある永野一男が住むマンションの玄関前に、多数の報道陣が集まっていた。「永野、いよいよ逮捕か」という情報が流れていたのである。 16時過ぎ、報道関係者とは異なる雰囲気の男が2人現れた。そのうちの1人はテレビカメラの前で「『ぶっ殺してくれ』と頼まれた」と発言。その後、玄関横の金属製格子を破壊し、ガラス窓を叩き割って室内に侵入した。 報道陣はその様子をカメラで捉えていたが、誰も止めようとしなかった。間もなく、部屋の奥から呻き声が聞こえ、永野が刃物で刺されているのがわかった。襲撃犯はその場で逮捕され、血まみれの永野は病院に運ばれたが、出血多量により死亡した。 一時は2000億ものカネを動かした永野は、このときまだ32歳、所持金は711円だったという。 犯人の登場から永野が運ばれるシーンまで、緊張感あふれる一部始終が全国のお茶の間にテレビ中継されたこともあり、この事件は日本中に衝撃を与えた。 その後の捜査と裁判を通じて、豊田商事の反社会的なビジネス手法の全貌が明らかになった。経営陣や関係者は次々と逮捕・起訴され、長年にわたる詐欺行為の責任を問われることになる。しかし、既に失われた資金の多くは回収されることはなく、全国各地の被害者が経済的に大きな損失を被ったままだった。
ミゾロギ・ダイスケ