【着回しDiaryに出演】山崎紘菜さんが聞く! アリ・アスター監督と最新作『ボーはおそれている』について|CLASSY.
「いつもおそれている」監督が重ねるボーのキャラクター
山崎:今回、監督の映画に初めてホアキン・フェニックスがキャスティングされましたが、彼との撮影はいかがでしたか? アリ・アスター監督:やはり素晴らしい人でした。もちろん役者業に関しては非常に真剣で、一方でいつもはひょうきんで笑わせてくれるし、今ではよい友達としてお付き合いさせてもらっています。あれだけ有名なのに、腰が低くて、気取らなくて、高潔性を保っている人はあまりいないと思います。 山崎:これまでホアキンのような素晴らしい俳優とたくさん出会ってこられたと思います。個人的にも気になるところなのですが、アスター監督が考える「よい俳優」とはどういった俳優ですか? アリ・アスター監督:一概には言えないけれど、共通項をあげるなら、すごくオープンで心をさらすことをいとわない、そして探究心がある人だと思います。探究心がある俳優はシーンごとに人間がどう行動するのか、生きることとは何なのか、というのを考えながら演じてくれます。そういう意味でもホアキンは優秀だと思いますし、他にもたくさんそういう俳優がいます。結局、世の中に対して、世界に対して、そして人間のありように対しての探究心だったり好奇心が決め手なんじゃないかと思っています。 山崎:探究心ということでは、映画の撮り方において、アスター監督は様々なことにチャレンジされていると思います。その中でも長回しのカットを多用されていますが、なぜお好きなのでしょうか? アリ・アスター監督:演技をするときは、ある種のエネルギーが流れるわけで、その邪魔をせずにすべてをカメラに収めることができるから長回しが好きなんです。自分の演技が切り刻まれて、編集室で貼り付けられないから長回しが好きという俳優がいる一方で、プレッシャーだから嫌いだという俳優もいます。また、長回しが好きな理由に、撮影したときのイメージがつかみやすいというのがあります。細かく撮り分けると、編集室に入ってからではないと、このシーンが果たしてどういう仕上がりになるのかという予測ができないので不安になるんです。ただ、長回しにしたものを短くすることはできないので、映画が長尺になってしまいがちなんです(笑)。 山崎:長回しは前作『ミッドサマー』でも非常に印象的でした。『ミッドサマー』では男女の関係についてがフィーチャーされていましたが、『ボーはおそれている』ではとくに母と息子について触れられていると感じました。『ボーはおそれている』において「母と息子」というテーマはどのような役割を持っているのでしょうか? アリ・アスター監督:説明するのが難しいのですが、まず今作はユダヤ人の文化的観点から描こうと思いました。ユダヤ人の文化においては母と子の関係はすごく密であり、かつ閉塞感があるんです。そしてそこにフロイト的な話を織り交ぜました。フロイトはすべては母親が原点にあるという精神分析ですから、なんでもかんでも原因は母にあるというコメディーを作ってしまえ!という感じで作品を作ったつもりです。というわけで自分自身も笑ってしまうようなコメディーが出来あがったのです。