THE YELLOW MONKEY、悲しみも喜びも奇跡も、そのすべてを飲み込んだ復活の東京ドーム
THE YELLOW MONKEYが4月27日に、〈THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2024 "SHINE ON"〉を東京ドームにて開催。その日の模様をレポートする。
ロックという音楽表現に人生を託した者たちの、生き様があった
これが彼らの生き様なのだろう。これこそが4人の生き方ということなのだ。 コンサートの終盤、ステージの巨大ヴィジョンは、2年以上にわたって喉の病気と格闘してきた吉井和哉の姿を映し出した。医師との対話。残酷な診断を受け、動揺する様子。治療の日々により疲弊した表情。マネージャーがライヴの中止を伝えるミーティング。吉井は、治療に臨む自分と周囲をドキュメンタリー映像に残してきたのだ。これを東京ドームの5万人が観ている時、さっきまでこの空間を熱くしていたバンドはステージから一旦はけている。 「死にたくないと思ってたけど、ずっと。不思議と、ガンになってから、あんまりその恐怖は、実はなくて」 声がろくに出ない中でのリハーサル。吉井についてのメンバーそれぞれのコメント。手術直後の彼は、治療の痕なのだろう、喉のあたりが真っ赤になっている。あまりにリアルで、生々しい映像だ。 「〈そっか、ヘタしたらこれは死んでるんだなぁ〉と思ったら……もう人はみんな死ぬし、人は過去には戻れないし、みんな平等に死は訪れるから。すごく〈命とは何か〉というのを考えた数年間じゃないですか。たぶん、みんなそうだと思う」 かぶさるように、ライヴが再開された。今夜の13曲目は、なんと「人生の終わり(FOR GRANDMOTHER)」。アルバム『SICKS』(1997年)の最後の曲で、タイトルの通り、吉井が祖母に捧げた歌である。まさに死に直面した人についての曲で、切々とした歌声に痛みの感情がこもる。しかも歌詞をヴィジョンに投射しながらで、終わり間際の〈血が泣いてるんだよ〉のくり返しが非常にせつない。ただ、メジャーコードのためか、決して悲しみだけに終わらない、不思議とポジティヴな感覚も残る歌である。2016年以降もかなりの数の楽曲をパフォーマンスしてきた彼らだが、この曲は再集結後、初の演奏となった。 こんなふうにTHE YELLOW MONKEYは、この数年で自分たちが対峙したことの重みを観衆に、そして全国から見守るファンに向けて明らかにした。命とは何なのか。その限りの淵に立った者として、そこからどう生きるのか。どう生きていくべきなのか。今のこのバンドの主題がさらされていた。 ライヴはクライマックスに近づいていたが、ここからの曲はどれも、命あることの尊さ、生きることそのものの素晴らしさに向けられているように感じられて仕方なかった。続く「SUCK OF LIFE」は倒錯的な世界を描いたグラムロックで、ライヴでは吉井とギターのEMMAによるエロティックな絡みを含んでいる。ふたりのそうした戯れさえ、まさにLIFEを……人生を、それぞれの生命を謳歌する一瞬に違いない。 最後の曲「ホテルニュートリノ」を唄う前に吉井は、「歌詞の中に〈人生の7割は予告編で/残りの命 数えた時に本編が始まる〉、本当にそう思ってこの曲を作りました。(観客と)一緒に、本編を楽しみたいと思います」と語った。スカ風のカッティングが新生面を感じさせる曲で、クールな感触の奥に切実さがある。 アンコールではこうしたリアルさが、より強まった。ドームでは初のお披露目となった「アバンギャルドで行こうよ」はイントロに「東京ブギウギ」が付いた、ファンにはおなじみのバージョン。そして「ALRIGHT」だ。2016年の再集結時の最初のリリース曲で、後半の〈何よりもここでこうしてることが奇跡だと思うんだ/命はいつか絶えるだろう だけど 最高の出会いが〉というフレーズは、当初は4人が再び一緒にバンドを始めた思いそのものだと解釈したものだが、実際にライヴで演奏されるとメンバーもファンも込みで、その日その場への祝福の歌だと感じた。そしてこの曲は今夜、またも新しい意味を獲得した。今生きている喜びと、数々の命がここで最高の時間を過ごし、奇跡を分かち合えている幸せ! しかも吉井はアリーナ席後方のサブステージに移動し、せり上がった舞台上でスポットを浴びながら先のフレーズを唄ったのである。悲しみも切なさも、喜びも幸せも、それに奇跡も……。THE YELLOW MONKEYがそのすべてを飲み込み、ロックエンタテインメントとして、ロックの表現として昇華させた刹那だった。 さらに「悲しきASIAN BOY」にはまた別の感動があった。架空の兵士の物語を唄ったこの曲は、若き頃の吉井が日本人としての宿命を表現したもの。金の紙吹雪を受けながら胸をはだけ、匍匐前進をする彼。そんな享楽的なバカ騒ぎも、根底にあるシリアスな現実も……これらを最高と感じるのも、下らないと却下することだって、全部、命があるからこそできる行為なのだ。そしてアンコール最後の「JAM」は、後半の〈逢いたくて/君に逢いたくて〉という、大切な人の存在を強く求めるフレーズがいっそう心に刺さった。それは今夜、ファンの歓声に大きな喜びを感じているという吉井の気持ちそのもののようにも思えた。 ライヴは幕を下ろし、メンバーは舞台を去った。ヴィジョンにはニューアルバム『Sparkle X』の最後の曲「復活の日」を吉井ひとりが唄う映像とともに流される。同時に歌詞も投射され、〈oh it's restart of My World〉のリフレインが印象深い。復活を、再び輝くことを唄った曲だ。発売中の『音楽と人』本誌6月号の表紙巻頭インタビューでは、東京ドーム公演のラストにこの曲を流すことが決まり、それを意識して詞を書いたと吉井が明かしてくれている。 本当に壮絶なライヴだった。ここまでさらけ出すのか。自分たちから流れ落ちる血を、ここまで見せるのか。そんなふうに思った夜だった。 振り返ると、開演予定の18時30分。今夜まずTHE YELLOW MONKEYが見せたのは、過去にケリをつける、借りを返すことだった。1曲目に選ばれたのは「バラ色の日々」。この背景には、2020年11月のコロナ禍に実現した前回の東京ドーム公演が、観客数を1万9千人に制限し、客席は声出し禁止、マスクは必ず着用という条件付きだったことがある。バンドは演奏予定曲のコーラスをファンから募って集め、当日は生演奏に合わせてその声をPAから流すSing Loud!という企画を実行。とりわけこの「バラ色の日々」では、スピーカーからの声に合わせて、お客さんたちが無言で腕を振り上げていたのが脳裏に残っている。今日、4人はその時に集めた声を再び流し、そこに満場のオーディエンスが声を重ねて、唄った。「ビューティフォー!」と返す吉井。彼らとファンは、3年半前の悔しさにおとしまえをつけたのだ。 また、これと別のドラマは、演者側にもあった。今夜のサポートキーボードに、いつもの鶴谷崇に加えて、三国義貴が加わっていたのだ。彼は90年代半ばからこのバンドを支えた名プレイヤーでありながら再集結後はその機会がなかったのだが、今春、各地で行われたファンミーティングでのアコースティック演奏で再会が実現。さらに三国はニューアルバムでは7曲で弾いており、その艶やかな音色は健在だ。吉井は本誌で「前から〈三国さんとはいつか〉と思ってた」と語ってくれている。 そのほかのヤマ場としては、「聖なる海とサンシャイン」を導くEMMAのギタープレイや、新作収録の「ソナタの暗闇」に至るANNIEのドラムソロからHEESEYのベースが絡むジャムセッションがあった。HEESEYは吉井から「彼ね、興奮しすぎて一睡もしてません! いないだろ、こんな61歳! 遠足じゃないんだから!(笑)」と突っ込まれ、これに思いきりの笑顔で応えていたが、今回はこの豪快なベーシストでもそうなるほどの緊張と不安があったのではないだろうか。そしてこうして数曲ごとにインターバルを作っての構成には吉井の喉への配慮があったはず。彼は声が本調子ではないことを謝っていたが、よくここまで戻してくれたと思う。 そして先ほど紹介したエンディング曲「復活の日」は、「SHINE ON」とともにアルバムの双璧を形成する歌だ。いやぁ、とんでもないライヴだったな……と思いきや。余韻に浸る間もなく、バンドは再びステージに戻ってきた。そして最後の最後に投下したのは「WELCOME TO MY DOGHOUSE」! インディーズ時代の『Bunched Birth』(1991年)収録曲で、ヒリつくような禍々しいギターが轟くこのロックンロールは、アンダーグラウンドにいた頃の4人の遠吠えである。しかし思えばその暗黒の歌が、今では自分たちのいた場所を高らかに指し示す重要な曲になっている。さらに言えば「JAM」同様この歌にも〈I miss you baby〉……あなたにいてほしいという悲痛な訴えが織り込まれているのだ。いま新作で金色に輝こうとしているサルどもは、2017年以来にドームを犬小屋へと変え、生々しい爆音によってこの広大な空間を染めた。 「ありがとうございました! ……治ったら2デイズやるぞ!」 そう叫ぶ吉井とともに、ステージを去るメンバーたち。彼らは真剣な表情も、苦しむ姿も、悩める横顔も、最高の笑顔も、すべてをこの場に持ってきた。受け止めたオーディエンスとともに、今夜はロックバンドの究極的なあり方のひとつを目の当たりにしたような気がしている。 春の夜の、壮絶なる2時間50分。そこにはTHE YELLOW MONKEYの、ロックという音楽表現に人生を託した者たちの、生き様があった。
青木優