人喰いは怪物の証! ジャンプ系マンガはカニバリズム取り入れすぎ?
「食べる=愛」というぶっ飛んだ倫理観も
※この記事には『チェンソーマン』未アニメ化のシーンを含みます。 ●幽遊白書 『幽遊白書』においても、人間を食べる妖怪は悪として退治される存在ですが、物語後半で大きな変化が訪れます。実は主人公「浦飯幽助」は、44代前の妖怪の血が目覚めた「魔族大隔世」であり、人喰いの大妖怪「雷禅(らいぜん)」の、「妖怪の遺伝子」上の息子だったのです。雷禅は人を食べなくては生きていけない妖怪にも関わらず、愛した人間の女が死んでしまったことで、(彼女が生まれ変わって)再会するまで人間を食うまいとし、数百年を過ごしていました。 しかし、ついに雷禅は空腹のあまり錯乱してしまいます。かつては闘神とまで呼ばれた父の衰えを見るに耐えなくなった幽助は、自分が人をさらってくるから食事をしろ(人間を食べろ)と言い放ちました。 このときの幽助は完全に妖怪としてのメンタリティで発言しているので、ギョッとした人も多いのではないでしょうか。幽助は人間を食べなくても生きていけますが、人喰いを許容した時点で「向こう側」の存在とも受け取れてしまいます。人を食べることが怪物の証明であり人間性の喪失なら、命をかけて人を食べないことは人間性の獲得につながるのです。 ●チェンソーマン 『チェンソーマン』では、食べることによって愛するという究極のカニバリズムが描かれています。主人公「デンジ」は、悪意によって傷つけることができない支配の悪魔「マキマ」を倒すため、彼女が再生しないよう分解して保存し、少しずつ料理して余す所なく全身を食べてしまいました。 料理シーンはないものの、「マキマ」の肉体を材料にした料理が淡々と紹介されるシーンには、冷めた狂気が感じられます。 愛されたいと願いながら世界を乱す「マキマ」に対し、デンジなりのぶっ飛んだ倫理観で出した答えは「食べる」ことでした。支配の悪魔という怪物を愛しながら退治するという矛盾した問題を解決するには、デンジ自身も人を食べることによって「向こう側」へ逸脱する必要があったのかもしれません。 ●忌避感が強いからドラマになる 一説によると、人類や人類の祖先が群れとして暮らし始めたとき、最初に出来たルールが「同族を食べてはいけない」というものだったのだそうです。確かに社会性動物が同族を食べていては群れを維持できません。 カニバリズムに対する本能的な忌避感は長年にわたって我々に染み付いています。だから人を食べる怪物を退治する物語は世界各地で語られ続け、創作の世界でも人間性のシンボルとして繰り返し描かれているのでしょう。 人を食べるという禁忌を破ることは物語に強烈なインパクトをもたらします。また人喰いは悪や怪物の証であり、社会からの逸脱を意味します。「週刊少年ジャンプ」に限らず、ジャンプ系作品でカニバリズムを扱った作品が多いのは「人喰い」のインパクトの強さをうまく物語に活用しているのかもしれません。
レトロ@長谷部 耕平