人と猫と自然の共生を映し出すドキュメンタリー映画『五香宮の猫』本予告解禁 ほしよりこ、小林聡美らのコメントも到着
<コメント全文>
■ほしよりこ(漫画家) のどかな晴れの国の景色と、草花と生き物を神と共に守るお年寄り、こどもたちと旅人たち。誰のものでもない猫たちが刺繍糸のようにそれぞれの関係をステッチして海辺の町の中をキルトのように繋げていく。正解がない課題でも話し合い続ける場を設けられる豊かさに小さな政治の希望と温もりを感じて心に温かい光を灯してもらえたようです。 ■小林聡美(俳優) ひとの暮らしに猫がいる。猫がいるからひとが来る。排除とか共存とかの一線を決めないところに平和があるのかなあ。嵐の日でも猫が腹をだして眠るのはひとの傍らなんだなあ。 ■武田砂鉄(ライター) 今、この社会の喜怒哀楽はゴツゴツしているけれど、この作品の喜怒哀楽はなぜか柔らかい。なんでだろう。 ■小川紗良(文筆家・映像作家・俳優) 共生は、容易いものではない。子どもも、大人も、住民も、旅人も、参拝者も、ドキュメンタリー作家も、それぞれの思いで境内に集い、小さな命と向き合う。そのプロセスが「猫視点」で見えてくる、肉球のようにやわらかな町の記録。 ■松村圭一郎(文化人類学者) 小さな港町の再現しえない一回性の出来事。そこには、ネット上を飛び交う、文脈から切り離された「情報」とは異なる、地に足の着いた人びとの「知恵」が映り込んでいる。 ■森千香子(同志社大学教授/社会学者) 神社という場で、猫を媒介に、ひとと動物、植物が織りなす小宇宙が広がっていく。提起されるのは「自分たち」の境界線をどこに引くのかという問いだ。「自分たち」とは集落の人間か、外の人間も含めるのか。わかりあえない人間はどうするのか。人間だけでなく動物も含めるのか。映画はやがて、他者と棲み分けるのではなく、ともに「棲みあう」地平とはどのようなものなのか、という新たな問いを拓いていく。 ■安田菜津紀(メディアNPO Dialogue for People(D4P)副代表/フォトジャーナリスト) 時に厄介者扱いされたり、癒しを求められたり、観光客の呼び込みを期待されたり、そして、捨てられたり――高齢化する小さな集落の猫たちの姿を追うほどに、こんなにも重層的な社会が見えてくるなんて。 ■内田樹(思想家、武道家) どうして想田さんは「猫の映画」なんか撮るんだろうと不思議に思っていたけれど、これは最初から最後まで非情なまでに「人間についての映画」だった。猫が目の前にいる人間の本性を容赦なく映し出してしまうとはこの映画を観るまで知らなかった。 ■坂本美雨(ミュージシャン) 長い年月、この石段を登り降りしてきた人々。その足元を、猫たちがするすると行き交い、人々を繋いでいる。人間、猫、魚、植物…あらゆる生きものの命が光る瞬間がここにある。 ■星野概念(精神科医など) 植物、微生物、昆虫、動物、人…種も、個も、みな、体感する世界が違うので、共生ってとても難しい。でも地域でみんなで暮らすわけだから諦めるわけにはいきません。生きとし生けるものが幸せで、安らかで、自由でありますようにと願い続けて、謙虚かつ気楽に生活したいと改めて思いました。 ■想田和弘監督 牛窓の猫や人々の日常を観察し描写した、静かな映画である。ドキュメンタリーに大事件や大惨事やメッセージ性は必要なく、自分に見えた世界をありのままに描写できればそれでよし。そう信じて観察映画を作り続けてきたが、本作でついにその理念を徹底できたように感じている。ぜひご覧ください。 ■プロデューサー・柏木規与子 この映画は、長年住み慣れたニューヨークから越してきて、「新参者」として必死に地元に馴染んでいこうとする想田と私の赤裸々な奮闘記でもあります。自分の間抜けな姿は見るに堪えられませんが、牛窓の美しい四季折々、生きとし生けるものの荘厳さをできる限り自分たちの経験に近いように映し出すことができたのではと思います。Please enjoy!