神戸連続児童殺傷事件27年 土師守さんが求める被害者支援の拡充「被害に苦しむ人が少なくなるように」
神戸連続児童殺傷事件で土師淳君が亡くなって、24日で27年になる。 父・守さんは自分と同じように犯罪被害で苦しむ人がいなくなるようにと、被害者支援の充実を訴え続けている。 【動画で見る】神戸連続児童殺傷事件27年 土師守さんが求める被害者支援の拡充「被害に苦しむ人が少なくなるように」
■犯人は14歳の少年 社会を震撼させた事件
土師守さん: 27年といいますけども、私たち遺族にとっては、いつも思い続けていることは一緒だと思います 医師の土師守さん(68)。 27年前に起きた神戸連続児童殺傷事件で、次男の淳君(当時11歳)を殺害された。 土師守さん: 私の場合は亡くなった時のままの姿で思い続けています。いろんなとこ行ったり話したりしていますので、日常的なことを一番思い出すことが多いですね 事件は社会を震撼させるものだった。 神戸市須磨区の中学校の校門前に男の子の頭部が…。 現場には挑戦状が残されその後、新聞社に声明文が送り付けられるなど、異様な経緯をたどった。 そして、、、 兵庫県警の記者会見: 被疑者は神戸市須磨区居住の中学3年生 A少年 犯人は14歳の少年。 当時の少年法では14歳は刑罰の対象にならず医療少年院に送られた。
■「少年法の壁」何があったのか遺族は全く知ることができず
土師さんは少年法の壁に阻まれ、少年の処分を決める審判にも参加できず、何があったのか、なぜ淳君が命を奪われたのか全く知ることができなかった。 土師さんはこの苦境を変えようと、同じように犯罪被害にあった人たちとともに、被害者の権利のための活動を始めた。 土師守さん: 被害者にとって、少年審判に出席して事実を知ること、そして自分のつらい気持ちを言うことは立ち直りの第一歩でもある。一歩目が踏み出せないと被害者は立ち直ることが困難な状況に追い込まれてしまいます。その意味でも審判への参加は重要な意味を持っています
■土師さんの活動の結果、被害者による少年審判の傍聴ができるように
活動の結果、少年法が改正され殺人などの事件では、被害者による少年審判の傍聴ができるようになった。 一方、2004年に医療少年院を仮退院した加害者は、毎年命日を前に「謝罪の手紙」を送ってきた。 事件の真相を知りたいという思いで、土師さんは手紙を読んでいた。 しかし、その気持ちは踏みにじられる。 2015年、加害者が事件について克明に書き記した告白本を出版しその後、手紙は届くことすらなくなった。 土師守さん: 手記を出版して2年間は手紙が来ていましたが、それ以降は全く来ていません。彼自身が事件に向き合って、自分なりの回答を見出しながら、私たちに知らせてくれることが一番重要だと思うので、それを待つしかないと思います