「素晴らしすぎて発売中止」になった忌野清志郎のアルバム…その怒りと悲しみから生まれた覆面バンドで歌った「亡き母たち」への思い
2009年5月2日に58歳の若さでこの世を去ったロック歌手・忌野清志郎。タイマーズ、RCサクセションをはじめ、バンドでもソロ活動でも数々の名曲を残し、日本のロック史に今も大きな影響を与えている彼の歴史の一部を紐解く。 【画像】「原発」との企業的なかかわりなどの事情で発売中止になったアルバム
「素晴らしすぎて発売できません」と発売中止になった異例のアルバム
1964年にイギリスからやって来たビートルズが全米を制覇して空前のブームを巻き起こしたことに対抗して、アメリカのエンターテインメント業界が用意したのがモンキーズだった。 ビートルズのようなバンド・スタイルで歌うポップスをテレビ番組と融合させて新しいスターを作ろうと、オーディションで選出された4人からなるモンキーズは、1966年8月に『恋の終列車』をリリースしてデビューした。 9月から始まった番組『ザ・モンキーズ・ショー』が全米ネットワークでオンエアされたこともあって大ヒット。さらに『アイム・ア・ビリーヴァー』と『デイドリーム(Daydream Believer)』の2曲が全米ナンバーワンに輝く。 だが、次第に人気が下降していったモンキーズは、70年代を待たずに音楽シーンから姿を消した。 時が流れて1988年、日本。 RCサクセションによる洋楽のカバー・アルバム『COVERS』が、急遽発売中止の憂き目を見る。 収録された『ラヴ・ミー・テンダー』と『サマータイム・ブルース』の日本語の歌詞が、原子力発電への不安や危険性を訴える内容だったことから圧力がかかったのだ。 そして「素晴らしすぎて発売できません」という、普通に考えると意味が分からない新聞広告が、音楽とは場違いな経済面の片隅に掲載された。 こうして清志郎は失望の底に突き落とされた。当時、表現者としていかに傷ついたのかが痛いほど伝わってくる文章が残っている。 ──本当はお前らをぶんなぐってやりたい気分なんだよ。でも、がまんせざるをえない俺の気持ちを考えたことがあるのか? 笑わせんじゃねぇよ。それでも俺は友達だと思ってるんだぜ。できることなら、この胸を切り裂いて、どんな気持ちで歌を作ったのか、見せてやりたいよ── 本物の表現者はいつだってギリギリのところで、しばしば恐怖や絶望感におののきながらも、何とか自らを奮い立たせて新しい作品に立ち向かっている。 だからこそ、友達だと思っていた人たちに裏切られた時のやるせなさと無念が、しばらくは消えなかったのだろう。