「提供するのは酒だけじゃない」アングラ探検家が潜入 川崎・南町に残る〝扉半開きのスナック〟とは?
10月15日、大阪・松島新地の料亭が摘発され、経営者らが売春防止法違反の容疑で逮捕されたことが明らかになった。神奈川県には’00年ごろには横浜・黄金町をはじめ何ヵ所か「ちょんの間」が存在していたが、そのほとんどが警察の摘発などで姿を消している。 【ちょんの間はあるのか?】すごい…ソープのネオンも妖しい川崎・堀之内の風俗街 川崎・堀之内にもかつてバブルの時代には「ちょんの間」が70軒以上存在したという。だが、やはりコロナ前には数軒が細々と営業を続けるのみとなっていた。また、わずか数百m離れた場所にある南町の色街にも同様の店は存在しており、堀之内よりも若い女性がいると評判だった。これらの2つの街の「ちょんの間」はコロナ禍でほぼ壊滅したともいわれていたが、現在はどうなっているのか。「アングラ探検家」YouTuber・パイナポー裏ch氏が川崎の街を歩いた。 ◆風俗街が2つある街・川崎 川崎。神奈川県の“右上”に位置する街である。海側は工場が密集し、競馬場も競輪場もあるのに加え、暴力団絡みの事件が度々起こったりするなど、上品な街とは言い難い雰囲気がある。 この街に大規模な風俗街が2ヵ所あることは風俗をある程度利用する男性方ならご存知のことだろう。堀之内と南町。1つの街で、歩いて行き来できる距離にこれだけの規模の色街が2つ存在するのは全国的にも珍しい。どちらかといえば堀之内のほうが店も多く、若い女性の在籍が多いため利用する男性客もたくさんいて活気があり、メイン通りを歩いているとソープの呼び込みがひっきりなしに声を掛けてくる。 一方南町は同じソープ街だがどちらかといえばひっそりと営業している。呼び込みの姿もあまり見受けられない。エリアの中心には広域系暴力団の事務所が居を構え、常時どこか緊張が走っている。強面のお兄さんとすれ違うことも多く、付近の駐車場には黒塗りの頑丈そうな高級車が何台も停まっている。 この堀之内と南町、近い距離にある風俗街ということでよく混同されるが、それぞれの成り立ちは少し異なっている。 堀之内は多摩川沿いにあるという立地柄か、かつては宿場町として栄えた歴史がある。よく遊郭と間違えられるが遊郭としての履歴はない。その歴史はかなり古く、東海道における3番目の宿場町として、元和9年(1623年)に作られた。今でも街灯などに「川崎宿」の文字が見受けられる。 ◆戦後も赤線地帯だった南町 堀之内に限った話ではないが、かつての宿場町の旅籠には飯をよそう「飯盛女」が在籍していた。もちろん配膳だけが仕事なわけはなく、旅人や商人の夜のお供用に置かれている女性である。堀之内はそうした宿場町をルーツに持ち、今の繁栄に至っている。 遊郭としての成り立ちを背負っているのは南町のほうである。この地に遊郭ができたのは明治37年(1904年)。風紀上の問題から川崎宿にあった女郎屋がこの南町に集められたのがルーツ、とのことである。戦後も政府公認の赤線地帯として栄え、少し前までは艶やかな赤線建築やカフェー建築がまだ何軒か残っていたのだが、この数年でほとんど取り壊されてしまった。 堀之内に残る「その手の店」は扉がガラス張りで閉まっているというスタイルだ。それらしき店に入ってみたところ、もう「遊び」のほうはやっておらず、普通の飲み屋になっていた。界隈で生き残っている店は1軒しかないそうだ。 一方の南町のほうは街を歩いていると分かるのだが、ソープの店舗に紛れて、不自然に「扉が半開きになっているスナック」がちらほらと見受けられるのである。店内を覗いてみるとたいていおじさんが笑いながら酒をアオっている。 だが、ここは酒が提供されるだけではない。そう、ここは「ちょんの間」スタイルの裏風俗なのである。同様の店は周辺に数軒存在した。 有料版『FRIDAY GOLD』では、パイナポー氏が「扉半開きのスナック」に潜入。カウンターの奥の小部屋の様子などを詳細にルポしている。 取材・文・画像:パイナポー裏ch
FRIDAYデジタル