初老の男が19歳の姫に結婚を迫って強奪!? 豊臣秀頼の妻・千姫に起きた「悲劇」の真相とは
家康の孫娘で、秀吉の息子・秀頼の元に嫁がされた千姫。大坂の陣で、秀頼は敗れて自害。家康が「千姫を救い出せば結婚させる」と約束したことで、坂崎直盛が千姫を救い出すが、千姫は「醜い」と拒否。一目惚れした本多忠刻と結婚。怒った坂崎が千姫を強奪しようとした……という逸話が伝えられている。俗に「千姫事件」と呼ばれる騒動だが、史実はどのようなものだったのだろうか? ■「千姫を救い出せば、姫と結婚させる」 千姫とは、いうまでもなく、徳川家康の孫娘である。父は秀忠、母はお市の方の娘・お江というから、徳川家ばかりか、織田家や浅井家の血をも受け継いだ女性であった。 1603年、わずか6~7歳の時に秀吉の跡継ぎ・秀頼に嫁いだ。もちろん、政略結婚である。それは、秀吉が亡くなる前年のこと。最も懸念としていた徳川家との結びつきを強化するためであった。いわば敵対勢力同士の婚姻であったが、それなりに夫婦仲は良かったようである。 しかし、不幸は程なくやってきた。1615年、大坂夏の陣において、夫・秀頼と義母・淀殿が、家康軍に敗れて自害してしまったからである。この時、家康は、孫娘の千姫だけは救いたいと願っていたようで、「千姫を救い出すものがあれば、姫を娶らせよう」との弁がよく知られるところだ。 ■姫を助けたのに、「醜い」と拒否された!? 家康の「姫を娶らせよう」という弁を受けて、坂崎直盛が燃えさかる城から千姫を救出したものの、火傷を負っていささか醜くなった坂崎を姫が拒否。そればかりか、救出途上、目にした本多忠刻に一目惚れ。家康が姫の願いを受け入れて二人を結ばせてしまったとの逸話が、まことしやかに語られることが多いようだ。 もちろん、坂崎は怒った。怒りの余り、輿入れの時に千姫を強奪しようと計画したが、失敗。その経緯が幕府に知られ、とうとう切腹させられることになったという。それでもこの男、相当に往生際が悪かったようで、最後まで自害することを拒んだとか。 もちろん、家臣は困り果てた。自害してくれないと、藩自体がお取り潰しになってしまうからである。秘密裏のうちに家臣の手によって殺害。自害したかのように装ったものの、結局はバレた。 とうとう、お家断絶の憂き目にあったというから、本人はもとより、取り巻く人々にとっても、哀れな末路となった。一般に伝えられるところの千姫事件の顛末とは、およそこのようなところだろうか。 ところが、実情は少々異なるようである。坂崎が戦火の中から姫を救出したわけではないようなのだ。