前田哲 監督が語る 観た人が幸せを感じられることを意識して作り上げた『九十歳。何がめでたい』
「未来が少しでも良くなるように」その思いで映画を作る
池ノ辺 以前監督にお会いした時、すでに何本か進行中の作品を抱えておられました。お忙しいんですよね。いったい年に何本撮られているんですか。 前田 いやいや、それは風評被害ですよ(笑)。基本的に年1本です。たまたまその年に、『ロストケア』、『水は海に向かって流れる』、『大名倒産』(いずれも2023年公開)の3本の撮影が重なっていただけで、しかもそれは僕のスケジュールではなくて、全て役者さんのスケジュールの都合ですから。 池ノ辺 忙しいというのは素晴らしいことですよね。 前田 僕の場合は1本撮るのに時間がかかるんです。ゼロから関わってることが多いので。とにかくゼロから1、というのが一番時間がかかって大変です。逆に1から100というのは、もう道筋ができたところでの演出ですから最初ほど大変ではないと思います。そこだけのおいしい仕事が来ないかなと思ってはいるんですけど(笑)。 池ノ辺 例えば、『老後の資金がありません!』(2021)と今回『九十歳。何がめでたい』は共通するものがあるとわかるんですけど、全然違うものも撮られていますよね。 前田 違うように見えるかもしれませんが、僕の中では一緒なんですよ。 池ノ辺 監督が筋を通してこだわっているものがあるということですか。 前田 僕は、人生は残酷だと思っていて、それを、残酷なままに描くのか、そういう人生をどう生きていくのか、そこでの表現の違いだけだと思っています。つまり、その人生を笑って生きるのか、おもしろがって生きるのか、あるいはその辛い現実、残酷な状況に立ち向かっていくのか、ということです。その違いがいろんなキャラクターになり、作品のテイストによって変わってくるだけで、中の哲学、そういうものは僕の中では一緒なんです。 そして、未来に向かって作っているということは共通しています。未来を生きていく子どもたちに、この社会を少しでもよくしていってほしい、そのために何か一つでも役に立てたなら、という思いがベースにあります。そしてもう一つは、差別と偏見をなくしたいという思いです。「障がい者だから」とか「女性だから」とかね。今回は「90歳だから」。90歳だから何かを諦めたり、何かをしなければいけないのか。そういうものを取っ払っていきたいんです。「子どもだから」こうしなきゃいけない、こうしちゃいけない。子どもだってもっと自由でいい。ジェンダーや年齢、人種などさまざまなところでの差別や偏見をなくしていきたい。 池ノ辺 確かに『ブタがいた教室』(2008)もそういうベースが感じられるものでした。 前田 その辺りが原点かな。それとその前に『パコダテ人』(2002)というのがありました。尻尾が生える女の子の話です。尻尾が生えたことで最初はアイドルみたいにチヤホヤされて、そのあとでバッシングされる。ファンタジーコメディの形でしたが、一瞬にして手のひらを返すという社会の状況を描きたかった。それも同じですよね。尻尾があろうがなかろうが、みんな違っていていい。そういう思いは自分の中にずっとある気がします。 池ノ辺 それは監督ご自身の体験によるものなんですか。 前田 どうでしょう。僕は大阪の田舎に生まれたので、確かにいろんな状況の方がいました。在日の方もいましたし、近くに被差別部落もあって同和教育の授業もありました。クラスの中にはいろんな人がいて、でも皆、同じ人間であるという意識は僕の中には絶えずあったんです。 池ノ辺 そんな中で、映画監督という仕事を選んだというのは、やはり映画が好きだからなんですよね。 前田 その一点につきます。僕の中では小学校4年生の時に映画の世界に入ろうと決めていました。ただ、監督とプロデューサーの違いはよくわからなかったですけど。 池ノ辺 それでいつの間にか監督になった? 前田 いつの間にかというか、これはもう運が良かったとしか言えませんね。運と縁です。出会いのおかげだし、ラッキーだったと思います。僕より優秀な人はたくさんいたのに、それでも辞めた人も多い。今、こうして続けてこられているのは、運も良かったし縁があったんだと思います。 池ノ辺 監督の映画は、観る人を元気にしてくれるし考えさせてくれる。だから私は大好きなんですよ。今回の作品も、「90歳でもまだまだ、もっとできる」と思わせてくれる。今は100歳まで生きる時代ですからね(笑)。元気な90歳は、周りも元気にしますよね。以前もお聞きしましたが、そういう作品を撮り続けている監督にとって、映画とはなんでしょうか。 前田 以前お話しした時と変わらずですが、かっこよく言うと「人生」です。映画のおかげで自分は生きてこられた。映画がなかったらいろんな意味で道を踏み外していたかもしれないし、人生を降りていたかもしれない。本来は自分は何もしたくない人間なので、ズルしたりサボったりして楽しようとしていたと思います。でも映画というものに出会ってしまったせいで、いや、出会えたおかげで、ちゃんとしよう、まともに生きよう、そういうふうに思える。いろんな意味で映画に救われています。そうでなかったら本当にダメ人間だったんじゃないかと、いや、今でもダメなところはいっぱいあるけれど、少しはまともに生きていられるというのは映画のおかげです(笑)。 池ノ辺 その監督の作品で、今度は観た人が救われたり元気になったりするんですね。 前田 当たり前のことですけど、映画は一人じゃ作れない。本当に、自分はプラモデル一つ完成させることのできない子どもだったんです。それがなぜ映画をきちんと完成できるかといえば、それは周りにスタッフやキャストがいるおかげだし、観客という届ける相手がいるからだと思います。そして、僕らスタッフとキャストで映画を生み出すことはできるんですが、そこからは観客の皆さんが育ててくださるものだと思ってます。例えば『ブタがいた教室』などは、いまだに毎年どこかで上映している。それは観客の皆さんが育ててくださっているおかげだと思います。遠くに行って成長した我が子を見守る感じですかね。 実は、大学にいた時の僕の教え子たちも育ってきていて、例えば風間太樹監督などは若手のトップを走っている。それと同じように映画1本1本もそれぞれ人格を持っている感じで、その成長を見守っていけるというのはうれしいですよね。ただそこは、自分が産んだというより預かった子なんですよ。親戚のおじさんの気分ですね。 池ノ辺 今回の『九十歳。何がめでたい』が、この先どんなふうに観客の皆さんに育てられていくのかも楽しみですし、監督の次の作品もすごく楽しみです。
インタビュー / 池ノ辺直子 文・構成 / 佐々木尚絵