「中国系というだけで」…ある華人の明るい振る舞いに隠されたカナダの「闇」と「差別意識」
「作って、洗って、作って、洗って」
「ほかの仕事をしていたかもしれないね」 そう漏らすジムは、一抹の後悔の念を滲ませた。 「どれもチャンスはあったんだよ」 子供たちには「作って、洗って、作って、洗って」の人生で終わってほしくないと願っている。 「子供たちも嫌だって言っているよ。長時間の重労働なのに、儲からないからね。労働時間を計算すりゃわかるけど、時給50セントで御の字なんだから」 「でもお子さんたちは、あなたのことを誇りに思ってますよ」 「そりゃそうだよ。育て方が良かったからね。教育には力を入れたんだ」 ニヤリと笑って胸を張る。 「みんな店を手伝ってくれたなあ。掃除も皿洗いも。毎回、給料を払ったわけじゃないけど」 取材でアウトルック滞在中に、ジムの子供たちのうち、サスカトゥーンに暮らす下から2番目のグラント・クック、下から3番目のバーバラ・ラーソンにも話を聞こうと寄り道をした。グラントは、両親の店では子供たちが安く使える労働力だったとおどけてみせる。積み上がった皿を洗い、ソーダやジュースの瓶がぎっしり詰まった重い木箱を運び、レジ係もしたそうだ。 バーバラは、レストランの子供として育ったと振り返る。 「恨みつらみはありましたね。地元に溶け込んでいたし、友達もみんな同じ町に住んでいました。でも店の手伝いがあったので、遊ぶ時間があまりなかったんです。今、大人になって振り返ってみると、両親がどれほど苦労したのかとか、私たち子供のためにいろいろなことを我慢したんだなと実感します」 グラントはこんな思い出話を披露してくれた。 「子供のころは気づかなかったんですが、父は地元のいろいろな催しのために資金集めにいつも奔走していました。地元で困っている家庭があれば、生活苦だろうが何だろうが、黙々と救いの手を差し伸べるんです」 地元の人たちがジムの引退パーティを開いてくれたとき、労いの声をかけようと集まってくれた人の数に子供たちは感動したという。ジムが子供たちに常に言い聞かせてきたことがある。それは、「家族と地元を第一に考えよ」だ。まさにその言葉を体現した人生だった。 『「名前を捨てるのなんて大したことじゃない」…なりすましでカナダに渡った華人達が語る「興味深い文化」』へ続く
関 卓中(映像作家)/斎藤 栄一郎(翻訳家・ジャーナリスト)