スズキ「アルト」は、どのようにして衝撃の低価格47万円を達成したのか【歴史に残るクルマと技術043】
●アルトの徹底したコスト低減策
アルトは、FFの5代目「フロンテ」をベースに2ドア化して商用車仕様に変更。商用車規格に合わせて法定の荷室面積を確保するため、後席は可倒式を採用。多くのユーザーが後席を使わないなら、後席の領域を減らしてでもコストを下げる方が優先という大胆な戦略だ。 さらに、ウインドウウォッシャーは電動でなく手押しポンプで、ラジオはオプション設定、左側ドアのカギ穴やシガーライター、フロアカーペット、リアウインドウの熱線デフォッガーなどを省き、パワートレインは最高出力28psの550cc水冷3気筒の安価な2ストロークエンジンと4速MTの組み合わせなど、徹底的なコストダウンが行なわれた。 大ヒットしたアルトは、排ガス規制対応に遅れて販売不振に陥っていたスズキの救世主となり、またスズキを軽自動車のトップメーカーに押し上げる原動力になった。
●新たな税制改革をキッカケに軽ボンネットバンの人気が減速
アルトの大ヒットを受けて、ライバルのダイハツ「ミラクオーレ」やスバル(当時は富士重工業)、三菱自動車工業も軽ボンネットバンを相次いで投入、1980年代は軽ボンバンブームで軽市場は活況を呈した。 ところが、1989年に物品税が廃止されて消費税が導入されたため、商用車の割安感が下がり、軽ボンネットバンブームは一気に下降線を辿ることに。しかし実際には、物品税以外にも軽乗用車に比べ任意保険や軽自動車税はほぼ半額、自動車重量税も安いので、全くメリットがなくなったわけではなかった。 したがって、物品税廃止は軽ボンネットバンの人気減速のキッカケに過ぎず、1990年代に軽自動車に高いレベルの居住性や品質などが高まったことが主因と思われる。それを証明するように、1993年にはスズキ「ワゴンR」が登場し、現在も続くハイトワゴンブームが巻き起こったのだ。
●スズキのアルトが誕生した1979年は、どんな年
1979年には、日産自動車の「セドリック/グロリア」に国産車初のターボエンジンが搭載された。国内乗用車として初のターボチャージャーを搭載したセドリックターボは、ターボ時代の火付け役となり、1980年代を迎えると続々とターボモデルが登場し高性能時代が幕開けた。 また、第1回パリ・ダカールラリー(パリ・ダカ)が開催された。この記念すべきパリ・ダカは、12月26日にパリを出発し、翌1979年1月7日にかけて167台が砂漠を駆け抜けた。優勝は、ランドローバーの「レンジローバー」であり、これによりランドローバーの名は世界に轟き、高級オフローダーとしての地位を不動にした。 クルマ以外では、スリーマイル島原発事故が発生、ソ連のアフガニスタン侵攻が始まり、ソニーの「ウォークマン」が発売され、TVドラマ「3年B組金八先生」の放送が始まった。また、ガソリン124.8円/L、ビール大瓶228円、コーヒー一杯238円、ラーメン290円、カレー356円、アンパン76円の時代だった。 ・・・・・・・ 潔いシンプルな設計でコスト低減を追求し、驚異の車両価格47万円で売り出された「アルト」。軽ボンネットバンという新しいカテゴリーを開拓した、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。
竹村 純