予想のつかない特殊設定ミステリーで注目 潮谷験の新作『ミノタウロス現象』はファンタジーが現実に?
今度は、どんなことをやってくれるのだろう。潮谷験の新刊『ミノタウロス現象』を手に取って、まずそう思った。なぜなら作者は、第六十三回メフィスト賞を受賞した『スイッチ 悪意の実験』から、常に凝った設定と、予想外の方向に転がっていくストーリーで、読者を魅了しているからだ。なかでも第二長篇の『時空犯』は、時間ループと殺人事件を組み合わせた、特殊設定ミステリーの秀作であった。特殊設定をSFとして鮮やかに処理する一方、ミステリーの部分は端正な謎解きになっている。この離れ技を実現した作者の才能に、驚倒せずにはいられないのだ。 その潮谷験が、新たな特殊設定ミステリーに挑んだ。本書の舞台は、突如として世界中にミノタウロスのような怪物が現れるようになった世界である。ちなみにミノタウロスは、ギリシャ神話に登場する牛頭人身の怪物のこと。クレタ島の迷宮にミノタウロスが閉じ込められる経緯や、ミノタウロスを退治したテセウスが迷宮から脱出する〝アリアドネの糸〟のエピソードが有名だ。また、異世界ファンタジーや現代ダンジョンものなどによく登場するモンスターのとして、お馴染みの人も多いだろう。 そんなファンタジー世界の住人が、いきなり現代に現れるようになった。三メートルを超える身長で、人間よりも力がある(ただし遺伝学上の区分は『牛』である)。そんな怪物が、人間を見ると襲いかかってくるのだから、とんでもない事態である。ただ、銃によって殺すことができるので、羆などより簡単に退治することができる。しかし、その脅威度の低さによって日本では、市のレベルでの対応も求められていた。 京都府眉原市市長の利根川翼も、当然のごとく対応に追われている。当選時二十五歳という最年少女性市長ということで話題になった翼。だが力を持っているのは、市会議員で派閥を率いる、眉原清流会党首の清城知治と、眉原革新党党首の岩緑篤だ。岩緑の秘書を辞め、自分の秘書になった羊川葉月と共に、旧弊な市政をなんとかしようと奮闘している。 そんな最中、翼は、清城から岩緑の醜聞を、岩緑からは重大発言を市議会でするといわれる。だが始まった市議会の場に、いきなり怪物が出現。一度は逃げた翼だが、見学に来ていた小学生が取り残されている可能を知り、市役所に引き返す。発見した少年を助けたものの、怪物に襲われそうになる。そこに現れた清城が猟銃で怪物を射殺。ところが怪物は精巧な着ぐるみであり、その中に入っていたのは岩緑であった。一方、本物の怪物は、別の場所で倒されていた。 以後、京都府警警視長・輪久井宏一による捜査とは別に、翼は独自にこの一件を調べ始める。なぜ岩城が怪物の着ぐるみの中に入って現れたのか。状況から見て、怪物が出現することを知っていたのか。二番目の謎が強烈で、読者をグイグイと引っ張っていく。そして翼と羊川は、一級建築家の資格を持つ郷土史学者の永倉秀華に行き当たり、過去の事件と迷宮の存在を知る。ここからストーリーは、予想外の方向にドライブ。かつて怪物を倒した、アメリカの元警官モーリス・ジガーも加わり、とんでもない騒動に発展していくのだ。本書の中に、「ファンタジーが、現実にめり込んでいる」という一文があるが、本当にその通りなのである しかも作者は怪物の正体や、出現する理由について、これまたとんでもない答えを用意している。登場人物の口から語られるのは仮説にすぎないが、妙に説得力がある。なぜなら怪物が次々と出現するという〝現実〟が、既にあるからだ。普通なら単なる妄想にすぎない仮設を、「ファンタジーが、現実にめり込んでいる」世界にすることで、成立させてしまうのである。 さらにその後、岩城が射殺された事件の真相が暴かれる。ああ、あれやこれが伏線だったのかと感心し、ロジカルな推理により明らかになる犯人の正体に驚く。怪物すら利用する人間こそが、真の怪物なのか。しかし怪物に立ち向かうのも、また人間である。作者が創造した特殊設定の世界が、そんな人類の姿を浮かび上がらせるのだ。
細谷正充