クミコ、ステージの上では歌姫、普段は普通のおばさん?「いえ、おじさんに間違われるんです」
デビュー2年目を迎えた舞乃空さん。 「1年目は手足が震えていました。でも、2年目になってようやく震えは収まりました。それでもまだ緊張はしますけどね」と笑顔で振り返ります。 日々の健康管理とタンパク質補給のために「ゆで卵」をよく食べているという舞乃空さん。 「トロッとした半熟が大好きなんです。パサパサした固ゆでは苦手ですね。ひとパック10個入りの卵を買ってきて、6分半茹でるとちょうどいい半熟になります。1日4個は食べています」
クミコさんは、1978年に「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加し、1982年にはシャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格。これを機にプロとしての活動をスタートさせました。2010年にはシングル『INORI ~祈り~』をリリースし、この曲で紅白歌合戦に初出場。銀巴里が生んだ最後の歌姫と呼ばれています。 代表曲の『わが麗しき恋物語』は、2003年、ニッポン放送がきっかけでヒットした楽曲です。 「ニッポン放送のアナウンサー上柳昌彦さんが番組で1カ月間、毎朝流してくださったことが話題の始まりでした。『聴くものすべてが涙する歌』として大きな反響を呼び、多くの人の心に響きました」 今年は越路吹雪生誕100周年、そして『愛の讃歌』の初録音から70周年という節目の年でもあります。この名曲はパリ・オリンピックの開会式でセリーヌ・ディオンが歌ったことでも話題になりました。クミコさんも、最新のカバーアルバム『私の好きなシャンソン Vol.2 ~ シャンソンティックな歌たち ~』で『愛の讃歌』を新たに録音し、その魅力を現代に伝えています。
1982年、シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロ歌手になったクミコさん。当時は、『サン・トワ・マミー』しか人前で歌ったことがなく、越路さんの歌しか知らなかったそうです。 「デビューしてから、シャンソンって越路吹雪さんだけじゃないんだと驚いたのを覚えています(笑)」 クミコさんの歌声に酔いしれた中山秀征さん。 「クミコさんは、歌わない時は、普通のおばさんなんですよね」と親しみを込めて問いかけると、「いえ、この頃は、おじさんに間違われるんですよ(笑)」とユーモアたっぷりに返すクミコさんですが、最近、買い物の支払いで戸惑うことが増えたそうです。 「お店によって精算機がいろいろと違いますよね。店員さんが『ここです、ここです』と教えてくれるんですが、時代の流れについていけなくなることが多いんです。セルフレジが話しかけてくると、つい『ちょっと待ってよ』と返事をしてしまうんです」