寺島しのぶの“野望”を封じ込め? 異例の「菊五郎二人体制」が許された“ウラ事情”
400年以上の歴史を誇る歌舞伎界で、史上初の襲名披露が明らかになった。来年5月に尾上菊之助(46)が「八代目尾上菊五郎」を襲名するが、実父の七代目尾上菊五郎(81)は、今後も同じ菊五郎を名乗り続けるというのである。 【写真をみる】「裏で各方面に働きかけていた」 “歌舞伎俳優になれなかった”寺島しのぶがもくろんでいた「野望」とは?
歌舞伎担当記者が言う。 「菊之助の襲名はかねて既定路線で、2年前の團十郎襲名後は“次は菊五郎か”と、その時期に関心が集まっていました。その際、父の菊五郎は別の名跡を名乗るのが慣例です。ところが本人は、5月27日に行われた会見で、今後も七代目菊五郎として活動することを宣言。記者の間からは驚きの声が上がり、会場は騒然となりました」
菊五郎が語った「表向きの理由」
過去に例を見ない、椿事とも言うべき異例の事態。七代目菊五郎のご乱心か、はたまた松竹による重鎮への忖度か。團十郎と並んで江戸時代から続く大名跡に、いったい何が起きているのか。答えは先の会見場にあった。 〈52年も継がせてもらうと、だんだん自分のもののようになってきちゃってね。全然違う名前になって、あと何年、芸能生活を送れるのか。(新たな名が)認知されずに終わるのは寂しい。七代目菊五郎として歌舞伎人生の幕を閉じたいというわがままを聞いてもらいました〉 と菊五郎は、名跡を変えない理由を明かしたのだ。 四代目尾上菊之助(30)=当時=が七代目菊五郎を襲名したのは、日本が高度成長期の真っ只中にあった昭和48年。その7年前にNHK大河ドラマ「源義経」に主演するなど、顔と名前を全国のお茶の間に広めていた。 「以来、七代目菊五郎として半世紀以上も名跡を守り続け、歌舞伎界で功成り名を遂げた功労者の一人です。そんな菊五郎の思いは、誰も単なる“わがまま”では片付けられません。松竹が受け入れたのは当然の判断でした」
二つの「ウラ事情」
が、それはあくまで表の事情に過ぎないという。梨園関係者が耳打ちする。 「実は、菊五郎は2年前から脊柱管狭窄症を患っているんです。声こそ以前と変わらず明瞭ですが、舞台上では思うように動けません。歩いても2~3歩ほどという状態で、ほとんどは座ったまま。当の菊五郎も“自分が舞台に立てるのは、あと2~3年程度”と覚悟しているフシもある。襲名の可否を判断する松竹が、前代未聞の“二人菊五郎”を容認したのもうなずけます」 歌舞伎界に残された偉大な足跡への敬意といえそうだが、同時に尾上家の将来を見越した“保険”的な意味合いもあるという。八代目の襲名と同時に、菊之助の長男・丑之助(10)が「六代目菊之助」を継ぐことも明らかにされたからだ。 松竹幹部がそっと明かす。 「親から子に名跡を継承する場合、襲名は親の死後になるケースがほとんど。にもかかわらず、尾上家が父の存命中に息子の菊之助に名跡を継がせるのは、先々の内紛の芽を摘む狙いも込められているんですよ」 菊之助の姉で女優の寺島しのぶ(51)は、性別を理由に歌舞伎俳優への夢を諦めたことで知られる。 「それだけに寺島さんは、歌舞伎界に身を投じた長男の尾上眞秀(まほろ・11)に菊之助を襲名させたいとの思いがことさら強いんです。実際、裏では眞秀の襲名を各方面に働きかけていたといいますからね」 過去の例からも、歌舞伎界では、大名跡ほど襲名争いが起こりやすいと伝わる。 「菊五郎は数々の争いを目にしてきた。先々に姉弟が争うことがないようにと考え、寺島さんの野望を封じる形を取ったのでしょう」 その寺島は父と弟、甥が顔をそろえた襲名発表を受け、父親を「傾(かぶ)いている人だと思う。カッコいい」と持ち上げて“白旗”を揚げた。
「週刊新潮」2024年6月13日号 掲載
新潮社