祝アカデミー賞4部門受賞! 今最も観るべき映画『哀れなるものたち』
『バービー』ではケンとバービーが結ばれるような異性愛に支えられた恋愛至上主義的結末にはならず、自己の開拓と世界の改革にこそ主眼があった。ランティモスはかつて、配偶者を45日以内に獲得しなければ動物へと姿を変えられてしまうホテルを舞台にした『ロブスター』(2015)で「普通」とされている恋愛や性愛を脱臼してみせていた。初期作『籠の中の乙女』(2009)でも、厳格な父親によって外界から遮断された家に暮らす子供たちは社会との関わりのなかで学んでゆくはずの性や恋愛に関する知識からも程遠く、したがって彼らの性行為はどこか異化的な印象を与える。これら『ロブスター』や『籠の中の乙女たち』といったランティモスの過去作の要素が融合された『哀れなるものたち』のベラもまた、肉体は大人ながら人前でも平気で食べ物を膣に挿入し快楽を覚えたりなど、「良識ある社会」から植えつけられる羞恥心や節度は持ち合わせていない。だからこそかえって、『哀れなるものたち』は性や恋愛にまつわる本質を剥き出しで暴いているともいえるだろう。
ベラは終盤、「私は新しい自分とクリトリスを大切にする」と絶叫する。この切実な叫びは、男性たる創造主によって蘇生された被造物であるベラが自身の身体を自分のものだとする主張であり、彼女を取り巻く男たちが独占欲や庇護愛を募らせ、家父長制的な結婚などそれらを正当化させる手段による支配への抵抗が込められている。そして同時に、性的快楽を手放さないという宣言でもありうる。自分で自分の身体を悦ばせ、男性以外の相手とも関係を持ち、男性主体の性の在り方を変容させてゆくベラの冒険を描く『哀れなるものたち』には、女性のセクシュアリティについての哲学がある。 大洋航路船で上流階級の生活を送るさなかに、ベラは人々が無惨に死んでゆくスラム街に衝撃を受けて苦しみ、しかし自分はあたたかなベッドで眠るその矛盾にまた苛まれながら、書物を手に取る。男に何度も本を海に投げ捨てられようと、とにかく知性を身につけようとする。ベラにとってそれはひとえに、世界を改善するための手立てである。私たちもこの現実で、虐殺をはじめ世界で起きているあらゆる残酷さに日々打ちひしがれ、無力を自覚しながらそれでも知識を得ようともがく。『哀れなるものたち』は荒唐無稽な映画に見えながらその実、そうした今日的な切迫性に満ちている。何度虐げられようと、一から生き直す──。人生を奪われたベラは“生”を与えられ、そして知性と自由と快楽を手に入れ、本気で世界を変革しようと夢想する。『哀れなるものたち』は、いまだ体験したことのない壮大な冒険へと、あなたを連れて行ってくれるに違いない。
Text:Mizuki Kodama Edit:Sayaka Ito