《波瀾万丈の人生》火野正平さん(享年75)「握手だけで妊娠」の”女性の敵”から「人類にモテた」最期まで
数多の女優らと浮名を流し、自ら「最高は11股」と豪語
12才で子役でデビューして、21才で一般女性と結婚。一男一女を授かりながらも翌1971年には別居。新藤恵美(75才)、仁支川峰子(66才)、染谷まさ美(53才)ら、数多の色気ある女優や歌手との交際が報じられた。40年以上事実婚だった現妻との間の2人の子のほかにも、「少なくとも5人は子供がいる」などといわれて、ワイドショー番組全盛の1970~1980年代には、パパラッチされることも多かった。自ら「最高は11股」と豪語するほどだった。 しかし、当時のワイドショー番組関係者は「あまりの女たらしぶりに、一般視聴者からは『プレイボーイ』、『握手だけで妊娠する』などと呆れられ”女性の敵”という印象もありましたが、実は交際女性たちからは、全く悪く言われなかったのです」と回想する。 例えば、不倫同棲で大バッシングを受けた小鹿みき(75才)は「私はただ、あの人と一緒にいるだけでよかった」と言い、望月真理子さん(享年50)も「あの人が真理子という女と暮らして良かったと思ってくれるだけでいいんです」と語っていた。前出の関係者は「女性たちから恨まれることが無かったのは、ひとえに火野さんの優しい人柄ゆえ。たしかに、ワイドショーや芸能雑誌に『女の敵』として追っかけられても、常に余裕のあるスタンスでした、悪評の全ても受け止められていた。業界関係者は皆『モテるのも納得』と思っていました」と振り返った。
悠々と自転車を漕ぐ”好々爺なタレント”に
大らかな雰囲気の昭和ならではの逸話の数々だが、まさに流れる雲のように自由奔放な芸能人生を歩んでいた。 晩年は、愛犬家な一面や、13年間続けたNHKの冠番組『にっぽん縦断 こころ旅』で、悠々と自転車を漕ぐ姿が印象的な、好々爺なタレントとして活躍した。冒頭の中野のように多くの共演後輩たちに慕われる大御所だった。自転車旅で出会う一般市民たちとも、老若男女問わずに自然体で接する姿で、全国各地で引っ張りだこだった。 この日のNHKの定例会長会見では、稲葉延雄会長も「いろいろな方に愛されていた番組でした。感謝でいっぱいです」と言われた。かつては、庶民にまゆをひそめられていた火野さんが、最期は公共放送のトップに最敬礼で偲ばれた。その素顔は、ただの“女たらし”ではなく、古館が評したように“人間愛”に溢れたものだった。
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