「戻れる場所ない」能登地震で自宅は土台から崩れた…大阪に避難の高齢夫妻が下した決断
思い浮かぶのは、自宅近くの増穂浦(ますほがうら)海岸。雅子さんは、時間を見つけてはピンク色に輝くサクラ貝や、紅貝などの貝殻を拾い集め、父親が得意だった貝細工を作る夢を描いていた。
今は、志賀町の自宅から箱などに入れて持ってきた貝殻を眺める日々。「夕暮れ時の増穂浦を思い出し、心が締め付けられる」と涙ぐむ。
志賀町の自宅に戻りたい。住み続けたい。それが本音だが、余震の恐怖が心に張り付いている。2人で思い悩んだ末、思い出の詰まった自宅を取り壊す道を選んだ。藤沢さんは前を見据えて、こう力を込める。
「戻れる場所は、もうない。悲しみはもちろんあるが、ここで生きていくと決めたんだ」(宇山友明)