第12回 3年連続日本一!巨人第2期黄金時代 vs パ・リーグ 3連覇も空し、南海の屈辱|「対決」で振り返るプロ野球史
混乱の50年を経て、51年にプロ野球は現在の形に
巨人・水原監督[左]と川上哲治
セ・パ両リーグで計15球団の“乱立”となった1950年のプロ野球は、セは松竹、パは毎日の優勝で終わったが、下位チームの戦いは悲惨なものとなった。セの最下位、8位広島は首位から実に59ゲームも離された。パは、最下位の7位近鉄は37.5ゲーム差とセほどひどくはなかったが、2位の南海が15ゲーム差をつけられるありさま。1強6弱の興味索然のペナントレースだった。 初めて行われた日本シリーズは、毎日が松竹を4勝2敗で下し、日本一となったが、この年生まれたばかりの新球団がアッサリ日本一になってしまうところに、日本のプロ野球の混乱と未成熟が見て取れる。日本シリーズは、神宮、後楽園、甲子園、西宮、中日、大阪と日本の主要球場すべてで行われ、言ってみれば、日本シリーズの巡回興行。ファンに認知してもらうための苦心の策だったのかも。 しかし、翌51年は、落ち着いたペナントレースになった。ラビットボールの使用をやめたことで、キチンとした野球のやれるチームが勝つという、正常な形に戻った。またセの西日本がパの西鉄に合併吸収される形で消滅。選手の所有権をめぐってゴタゴタはあったが、両リーグ同数の7球団ずつになったことも公平性という点ではよかった。 この西鉄の監督に・・・
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週刊ベースボール