能登半島地震1カ月…今振り返るあの日の行動 読者アンケートで見えた反省点と意識の変化
最大震度7の揺れや津波で甚大な被害が出た能登半島地震の発生から2月1日で1カ月。福井新聞の調査報道「ふくい特報班」(通称・ふく特)は、読者の発生直後の行動や防災意識に関するアンケートを行った。555人から回答があり、地震や津波に備え新たに対策を講じたり、講じる予定だと答えた人は8割を超えた。 【写真】地震で崩落した福井県あわら市の道路 「対策を講じる予定」は54・2%、「既に対策を講じた」は28・6%に上った。具体的な内容(複数回答)は「非常用持ち出しグッズの準備・補充」が最も多く、「非常食、飲料水の準備・補充」「携帯電話など通信機器の充電」などが続いた。「その他」では「車のガソリンを早めに給油する」という意見が複数あった。多くの回答者が「感じたことのない揺れ」を身をもって体験したのに加え、電気や水道といったライフラインが途絶した被災地の状況を踏まえた意識の高まりがうかがえる。 アンケートは多様な意見を探る目的で、紙面やふく特のLINEなどを通じて1月16~21日に実施。福井県内外の10~80代の男女から回答があった。 ■地震発生時、どんな行動とった? 1月1日夕に発生した地震は能登半島で最大震度7、福井県内でも最大震度5強を観測した。ふく特の読者アンケートでは、「非常用持ち出し品を用意しておくべきだった」「避難所に向かえばよかった」など、発生直後の自らの行動に反省点があったと答えた人が3割以上いた。 発生が元日夕だったためか、回答した555人のうち、自宅など住宅内にいた人が75・1%に上った。あわら市の20代女性は「経験したことがない揺れで物につかまっていないと立てない状態」と振り返る。初詣中だった坂井市の50代女性は「灯籠が大きく揺れた」と答えた。 自動車内にいた人は「信号機が揺れた」とし、「病院で人工透析中」に遭遇した人もいた。「地鳴りが聞こえた後に何度も揺れた」「緊急地震速報に恐怖を感じた」と当時の記憶をつづった回答も寄せられた。 回答者のうち9人が石川県内にいた。小松市内の商業施設から外に避難したという50代女性は「揺れが大きく長く怖かった。防災無線で津波の警報が何度も大音量でかかった」。金沢市内の実家にいた福井市の50代女性は「すごい横揺れで食器が割れ、壁が一部崩れたりひび割れたりした。死ぬかと思った」とつづり、白山市内の商業施設にいた福井市の30代女性は「建物がすごく揺れ、その場に座り込んだ」と振り返った。 県内にも津波警報が出た中、どう行動したか尋ねた設問(複数回答)では「特に行動は起こさなかった(屋内待機含む)」が62・0%と最も多く、「いったん外に出た」は20・0%、「高台に避難した」は6・5%、「避難所に向かった」は3・8%だった。敦賀市の60代男性は「津波警報が出て避難し始めたら渋滞にかかり、高台を諦めて会社の2階に家族や親族で避難した」と回答した。 地震発生直後の自らの行動を振り返り、反省点や課題を感じた人は35・3%で、「迷わずテーブルの下に入ればよかった」「ガラス窓から離れるべきだった」などの意見があった。坂井市の60代男性は「テーブルの下か、外に避難か分からない」、若狭町の60代男性も「どういう行動がベストなのか迷う」と、とっさの行動の難しさを指摘した。
福井新聞社