大人こそ読みたい『赤毛のアン』。シリーズの翻訳者が心のバイブルと出会い、全文訳を手がけるまで。
村岡花子訳の魅力
村岡花子訳『赤毛のアン』の発行は、昭和27年(1952)です。訳文には明治生まれの文筆家ならではの古風な言葉遣いが、会話部分には古き良き時代の品のよさあり、全体の快(こころよ)いリズム、馥郁(ふくいく)として朗(ほが)らかな文体が、読書の歓びに誘います。 村岡花子氏は歌人でもあり、わが子をこの世に迎える産着を縫い母になる日を待つ静かな喜びの一首、慈しみ育てた愛児が幼く他界して小さな骨壺を前にした悲哀の一首など、詩歌を詠む才能と語彙の確かさに感銘をうけます。 日本で『アン』が1950年代から愛されてきた理由は、モンゴメリの優れた筆力はもちろん村岡花子訳の文章に負うところが大きく、私も十四歳で村岡花子訳に出逢ったからこそ、アンの世界を愛好し、座右の書としてきたのです。
『赤毛のアン』新訳の依頼を断る
文学新人賞に応募して24歳で小説家になり、 4年後の1991年の春、集英社から『アン』の新訳を依頼されました。「村岡花子先生の名訳があり、私はずっと愛読してきましたので、新たに訳す必要はないと思います」とお答えして辞退しました。それに『アン』は児童書だと思いこんでいたのです。20代の私は、海外文学ではサガンとコレットを好んでパリを歩きまわり、最愛のアンの世界は愛しい少女小説の範疇(はんちゅう)と考えていたのです。 しかしお断りした会合の帰り道、そういえば『アン』を英語で読んだことがないと気づき、書店でペイパーバックをもとめ地下鉄に乗り、さっそく頁をひらくと、冒頭に初めて見るブラウニングの詩があり、これは何だろうと不思議に思いました。日本では、『アン』はアンが11歳で島に来るところから始まるとされていましたが、原書はアン誕生の祝福から幕を開けるのです。そもそもモンゴメリの原文は一文一文が長く、単語も文学的であり、児童書ではないとすぐにわかりました。以下は第一章「レイチェル・リンド夫人、驚く」の冒頭から一つ目のピリオドまでです。 〈 CHAPTER I Mrs. Rachel Lynde is Surprised Mrs. Rachel Lynde lived just where the Avonlea main road dipped down into a little hollow, fringed with alders and ladies’eardrops and traversed by a brook that had its source away back in the woods of the old Cuthbert place; it was reputed to be an intricate, headlong brook in its earlier course through those woods, with dark secrets of pool and cascade; but by the time it reached Lynde’s Hollow it was a quiet, well-conducted little stream, for not even a brook could run past Mrs. Rachel Lynde’s door without due regard for decency and decorum; it probably was conscious that Mrs. Rachel was sitting at her window, keeping a sharp eye on everything that passed, from brooks and children up, and that if she noticed anything odd or out of place she would never rest until she had ferreted out the whys and wherefores thereof.〉 文体と語彙から、子どもむけに書かれていないことは一目瞭然です。 さらに10代から暗記するほど読んで血肉となっていた村岡花子訳が省略版だったことも初めて知りました。冒頭のブラウニングの詩のエピグラフと献辞のほかに、マシューの母がスコットランドから白いスコッチローズをたずさえてカナダに渡って来た描写、マリラがアンに「血と肉をわけた実の娘のように愛している」と語り二人が母娘(ははこ)となる感涙の場面、アンが夕暮れの墓地で来し方ゆくすえに思いをはせるしみじみとした場面、ギルバートが自己犠牲の献身でアンにアヴォンリー校の教職を譲ったとリンド夫人が語る夏の夕暮れの場面など多くの描写を原書で初めて読み、驚いたのです。 もっとも、かつての邦訳小説は必ずしも全文訳ではなく抄訳と翻案が一般的でした。19世紀から20世紀前半の西洋文学は概して長い作品が多く、長大な原作から日本人には冗漫なところやわかりづらい部分を省き、面白い場面を選んでうまくつなぎあわせて編集するわざが翻訳者の腕の見せ所だったのです。 また西洋文化に疎(うと)いかつての日本人には馴染(なじ)みのない西洋の衣食住の品々をわかりやすい別のものに置き換える工夫も重要でした。村岡花子訳『アン』では、棒針編みのベッドカバーがさしこふとんに、ラズベリー水がいちご水、カシスの果実酒がぶどう酒、メイフラワーがサンザシに変わっています。 村岡花子訳『アン』で聖書由来の言葉が省かれている理由も、日本にはキリスト教徒が少ないため、アンやダイアナの民族衣装が訳されないのは、昭和の日本人にとっては移民によるカナダ人という意味合いが理解しづらだろうという配慮からでしょう。こうした村岡花子訳の省略と改変のおかげで昭和に生まれ育った少女時代の私にも『アン』は読みやすく、夢中になれたのです。そうした意味で村岡花子訳は1950年代に求められる上質な翻訳です。ほかにも『アン』の邦訳書は多数あり、村岡訳を踏襲(とうしゅう)したわかりやすい抄訳と改変版であり日本における『アン』人気を支えたのです。 しかし1980年代からは日本でも西洋の品々が一般的になり、文芸翻訳は正確な全文訳が基本となりました。私自身、小説家であり、文体と場面は考え抜き、語彙は選び抜いて執筆します。凝った文章を書く小説家モンゴメリも正確な全文訳を望むだろうと思いました。 西洋の名作は若い読者のための読みやすい良い抄訳が大切です。と同時に、原書通りの翻訳も大切なのです。 こうして思いがけず『アン』の新訳に取り組むことになりました。それが今も続くモンゴメリ研究の長い道のりの第一歩であることを、20代の私はまだ知りませんでした。
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