「現実と夢の寄せ集めの記憶」…”毒”を盛られ、九死に一生を得たナワリヌイ氏が体験した、想像を絶する過酷な「試練」
「water」のスペルすら思い出せない
現実の把握が以前よりも改善し、英語も少し思い出し始めてきたころ、看護師に水を1杯ほしいと伝えた。すると看護師は、その言葉を紙に書いてくれたら、すぐに持ってくると言いながら、ペンを差し出した。 英語で「ウォーター」が水であることは思い出せたのだが、いくら考えても、どう書けばいいのかわからない。だんだん腹が立ってきて、苛立ち気味に再び水を要求した。「もう1回、がんばってみましょう」。看護師は毅然とした態度を見せる。紙の上でペンを適当に走らせているうちに頭に血が上ってきて、カッとなった私は、突然頭に浮かんだ言葉を書き殴った。「fuck(ちくしょう)」と。仕返しの気持ちもあったが、むしろ誇らしげに、その紙切れを看護師にわたした。すると、哀れみの目で私を見ている。そこに書かれていたのは「fkuc」だった。 記憶の断片を順序どおりに並べ替えようとするのだが、実際のところ、その記憶というもの自体、例の日本人医師、紙とペン、両足を失ったこと、ホワイトボードのハート、惨事に巻き込まれたこと、ユリア、収監生活といった具合に、現実と夢の断片の寄せ集めなのである。 ある記憶の断片では、私が独房のベッドに腰かけている。刑務所の壁には規則が書かれているのだが、その日に限っては、いつものような規則ではなく、ロシアの有名なラップグループ、クロヴォストークの曲の歌詞が書かれていた。看守が私に規則、つまりはその歌詞を繰り返し読み上げろと命令する。1000回読めというのだ。拷問である。夢の中で私は激昂する。 思考力が回復してからずいぶん時間が経ったころに、あるインタビューでこの記憶に触れたところ、クロヴォストークのメンバーからTwitter[訳注:現X]で「リョシュ[原注:アレクセイの愛称]、バッドトリップ[訳注:麻薬などで不快な幻覚を見ること]させて悪かった」とメッセージが送られてきた。 さて、病室には壁掛けの大きなテレビがあったのだが、これがまた新たな試練となった。繰り返し現れる妄想よりはましといえばましだが、それでも気分の悪いものだった。意識が徐々に回復するにつれて、医療スタッフはあの手この手で私を楽しませようとしてくれた。ある日、医療スタッフは、サッカー観戦がいいと考えたようだ。問題は、私がまるでサッカーに興味がないことだった。しばらくして、私の仲間であるレオニード・ボルコフがお見舞いに来てくれたときに、これはよろしくないと気づいてくれた。「どうしてサッカーを見せているんですか。彼は好きじゃないんですよ」 ただちにテレビのスイッチが切られた。その時点ではよく事情が飲み込めていなかったが、ともかく大きな安堵感に包まれた。 『「病室中を血まみれにしてでも起き上がりたい」…命を狙われ、リハビリに励む反体制派ナワリヌイ氏の「血の滲むような努力」と「希望」』へ続く
アレクセイ・ナワリヌイ、斎藤 栄一郎
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