あの“6人”パーティは文字数制限から生まれた!『ウィザードリィ』ロバート・ウッドヘッド氏へ『五つの試練』ディレクターがアレやコレやと訊いてみた【インタビュー】
コンピューターRPGの黎明期に誕生し、一世を風靡した3DダンジョンRPG『ウィザードリィ』。本家シリーズが終了したあとも、日本ではさまざまな派生作品が作り続けられてきました。そうした派生作品の一つがGame*Sparkがパブリッシングする『ウィザードリィ外伝 五つの試練』(以下、『五つの試練』)です。2006年に生まれ、2021年Steamに再登場した『五つの試練』は現在好評配信中で、発売後も成長を続けています。先日のTGS2024ではニンテンドースイッチ版が2025年1月30日に発売されることが発表され、すでにパッケージ版の予約が各店舗にて始まっています。 【画像全11枚】 本稿では、ドリコムが手掛けるシリーズ最新作『Wizardry Variants Daphne(ウィザードリィ ヴァリアンツ ダフネ)』の登場を間近に控え、本家『ウィザードリィ』の作者の一人ロバート・ウッドヘッド氏へのインタビューを、『ウィザードリィ外伝 五つの試練』のディレクターである堀江陽氏をインタビュアーに迎えお送りします。パーティの最大人数を6人に設定した理由をはじめ、思いもよらぬ開発秘話が次々に飛び出したこのインタビュー。話題は『ウィザードリィ』の枠を超え、ロバート氏が現在手掛けている活動にも及びました。 初代『ウィザードリィ』に登場する狂王トレボーの名の由来であるロバート氏を前にして(TreborはRobertを逆に読んだもの)、堀江氏はいったいなにを語りかけるのでしょうか。 少人数で開発された『ウィザードリィ』 堀江陽氏(以下、敬称略)最近インディーゲームがブームになっていますね。『ウィザードリィ』もそうですが、昔のPCゲームは小規模チームで開発されていたタイトルが多いと思います。当時のPCゲームを作っていた人間として、現代におけるインディーゲームのブームをどう思っていますか。 ロバート・ウッドヘッド氏(以下、敬称略)昔のゲーム開発というのは一人か二人ですべてを作るのが基本でしたが、現代では大人数がチームに関わる形態になっています。そういう少人数のインディーゲームから数百人が関わる巨大なプロジェクトまで、どちらも自分の中ではあって欲しいという認識です。 少人数ならそのチームの意志を実現できる環境がありますが、数百人が関わるプロジェクトではすべての意志を合わせなければなりません。巨大なゲームでは自分のやりたいことが他の要因によってできなくなる制限もあるでしょう。少人数開発の方がもともと自分に近い考えです。 ただし、小規模なゲームも大規模なゲームもどちらも良いところと悪いところがあるので、どちらか一方ではなく両方が共存して欲しいです。どちらからも良いものが出てくることに期待しています。 私は最近、6人くらいの開発チームで作られたという小規模タイトルにハマっていますね。 堀江そのゲームの名前を教えていただけますか? ロバート『Dyson Sphere Program』です。(編註:同作は公式日本語対応がTGS2024で発表されました)個人ウェブサイトの「Dyson Sphere Blueprints」に別名で自分のブループリントを載せています。 堀江『EVE Online』のユーザーコミュニティで大きな活動をされているのは知っていましたが、『Dyson Sphere Program』でもそのような活動をされているのですね。 ロバート『EVE Online』は7~8年くらいハマっていましたが、最近はプレイしていません。『Dyson Sphere Program』にハマっているのは、ゲームの中でコンピューターというシステムを作れるのがすごく楽しいからです。ものを作って壊して、その後で最適化するのが楽しく、マイペースで進められるので最近特に気に入っています。 堀江最初から脱線しましたが、少人数のチームだと開発の意思統一がストレートに行くというお話がありました。我々の『五つの試練』もわずか数人で作っているタイトルなので、開発のビジョンをどう実現していくかが今後ゲームを作っていくにあたって重要なのかなと思っています。 ロバート成功するように願っております。少人数のタイトルでは自分のビジョンがブレないように作りやすいですが、あまりにも詳細な部分の制作にこだわりすぎて全体像が見えなくなる危険性があります。そうした危険性に対しては、ゲームの開発に関わっていない人間の意見を取り入れるのも良いです。 初代『ウィザードリィ』の開発も少人数で行っていましたが、振り返ってみると当時アンドリュー(『ウィザードリィ』の共同制作者、故アンドリュー・グリーンバーグ氏)の友人に遊んでもらったことが非常に重要で、より良いものに繋げられたという印象があります。 昔の『ウィザードリィ』は、今作り直しても完全には再現できない 堀江仲間内だけで作っていると細かいところに陥ってしまうというお話がありました。『ウィザードリィIV ワードナの逆襲』は非常に高難易度な内容で知られています。あれはそういったところに陥ってしまった結果出てきたものなのか、それともなんらかの意図があってあの作りになっていたのでしょうか。 ロバートゲームの細かいところばかりに注力しすぎて『IV』があのようになったのか、意図的にそういう作りにしているのかと聞かれたら、一応、両方ですね。 『IV』はゲームデザインに関わったロー・アダムスのアイデアで、ストーリーを逆にして悪党をやろうかというところから生まれました。問題点はロー・アダムスがめちゃくちゃハードコアなゲーマーだったということです。高難易度のゲームを一番最初にクリアした人間でもあるし、本当にもうマニアに近かったですね。結局、プレイヤーたちのために作っているというより自分たちのために作っているという形になってしまいました。 彼のような上級者向けにコンテンツを提供しようと思った結果、一般人が「これはちょっと無理」という難易度になり、苦情が生まれてしまったのです。とはいえ、それはそれで勉強になったと考えていて、そのあとは難易度のカーブがなめらかに伸びていくようになりました。まだ大量のゲームがある時代ではなく、どうあるべきなのかを自分で試しているところだったので、ものすごく勉強になりました。今では常識になりましたが、当時は複数のエンディングが存在するRPGはそう多くありませんでした。 「上級者向けに作ろう」と思ったばかりにちょっと間違えたところはありましたが、自分にとってはすごく重要な一本で、作ったこと自体は後悔していません。 堀江そういった高難易度のタイトルを手掛けたときはどういう考えで作られたのでしょうか。 我々の『五つの試練』も2006年版からのオフィシャルのシナリオの一部は後半に難易度が一気に上がるのですが、時々ユーザーさんから「このゲームは簡単にクリアされると悔しいから難しくしているんだ」なんてご意見が来ています。一般的に高難易度コンテンツは簡単にクリアされるのが悔しいから作られるのではなく、むしろ難しいものをクリアする達成感を感じてもらうために難しくされていると思っています。 ロバートチャレンジングなゲームを作りたかった結果として、それまでの作品より急に難易度が上がってしまいました。 当時の開発の中心人物としては、そこまでギャップが激しいという意識はあまりありませんでした。当然ユーザーはついてきてくれると思っていました。結果として、上級者からのフィードバックをもらうと「これは簡単」ばかりで、その人が満足する難易度にするとどんどん難易度が高くなってしまったのです。しかし、初心者が触るとあまりにも難しい。 当時はそのあたりへの意識が皆ありませんでしたが、現代のゲームは学んでいます。難易度の設定があったり、ストーリーだけを楽しむためのモードがあったりします。私もコントローラーを握ったあと、それほどあれこれできるわけではないので、そのような機能が入っていると嬉しいです。 もちろん、ものすごく難しいモードがあっても良いと考えています。映画に例えると、なにも考えずに観るだけで楽しめる映画を観たい日もあれば、より深い考えにさせるような映画を観たい日もあります。ゲームも同じように、気軽に遊べるものと本当に挑戦するものと、同じ人でも日によってゲームの好みややりたいことが異なるでしょう。 同じタイトルの中でどちらの選択もできるという作りが、現代的に学習されたゲームだと思います。 堀江一つの作品の中で難しいものと簡単なものが選べるようになっていると、より良いということでしょうか。 ロバートその通りです。現代のゲームは難易度設定によってイージーモードやハードモードが選べます。初めてのゲームではイージーモードでプレイして、「こういう動きなんだ。こういうことができるんだ」と慣れてきてからハードモードに難易度を上げてプレイすることもあります。 堀江ロバートさんはもし、昔ながらの『ウィザードリィ』的なものに難易度の選択を実装する場合、どのような作りが適切だと思っていますか。 ロバート当時は難易度の設定についてはそれほど深く考えていませんでした。まったくノウハウも、前例もないまま挑戦を繰り返すのがほとんどという開発環境でした。それから40年間学習してきた経験を振り返って今考えてみると、『ウィザードリィ』的なもので変更するべき場所は難易度を含めて山ほどあるのではないでしょうか。 「難易度はどうするか」というところに現代的なアプローチを持ってもう一本古い構造の『ウィザードリィ』を作ると考えた場合、運に恵まれずひどい目に遭ったときに、裏でサイコロを振り直すというアイデアはどうでしょうか。内緒でワンチャンスを与えるのです。これはテーブルトークRPGでもよくあったことです。ダンジョンマスターが「かわいそうだから、もう一回やってあげるよ」とね。今なら、そういう意識を持ってできると思います。 ただ、現代のゲームとして『ウィザードリィ』を今から作り直そうという考えであれば、結構違うゲームになるのではないかと思います。40年間の経験があるので、あんなゲームではなくなるかもしれません。 堀江皆が思っている『ウィザードリィ』と今作り直した『ウィザードリィ』は結構違うものになりそうですね。 ロバートどうしても違うゲームになってしまいますね。あの昔の『ウィザードリィ』には、当時の手掛けた人たち、時代的背景、ハードウェアすべてが影響しています。40年の後にそれを完全に再現することはできません。当時のコンピューターも存在しないし、当時の開発者も経験が溜まっているし、再現はありえないのです。今作り直そうとしたら、良くも悪くも違うゲームになります。 システムの制限がゲームデザインを生み出す 堀江ハードウェアでも変わってくるというお話がありました。昔の『ウィザードリィ』のユーザーインターフェースを見るとMac版だけが異質でした。どうしてあのようになったのでしょうか。 ロバートMac版は100%私が作ったものです。Macが出たばかりの頃は新しい機能が色々ついていました。新しいプラットフォームとしては見た目が他のPCとは違っていて、独特のインターフェースになっていました。 せっかくMacで動かすのなら、そのインターフェースに合わせた方が良いのではないかという考えで、アイコンを主体にしました。MacではどのユーザーもFinderというプログラムを使い、そのユーザーインターフェースに慣れているので、同様の構造を使えば『ウィザードリィ』の操作もやりやすくなるのかなと考えたのです。 まとめると、見た目と使いやすさ、ドラッグ・アンド・ドロップなどの新機能を使いたいということから、あのような形になりました。 堀江個人的に気になっていたところなのでありがとうございます。同様に、我々がずっと『五つの試練』を作っていて、ユーザーさんに楽しんでもらおうとすると、最終的に細かいところが気になってくるのですね。そこで、当時のことを聞かせてもらえると嬉しいのですが。 なぜ、『ウィザードリィ』の宿屋はパーティ全員が泊まるのではなく、キャラクターごとの個別判定なのでしょうか。しかも、回復量がすごく少ないですよね。2006年版や『戦闘の監獄』の段階でそれにインスパイアされた仕組みになっている我々のところにも、海外のユーザーさんから「全員が泊まれるべきだし、もう少し回復した方が良い」との要望が来ています。当時どうしてこう設定したのか聞かせてください。 ロバート基本的なデザインとしては、回復にコストをかけるべきだという考えです。ユーザーは魔法を使っても回復できますが、街に戻って回復するのに少しでもコストがかかることで、自分の所持金を回復に使うのか新しいアイテムに使うのかをユーザーに決めてもらいます。 また、昔ながらのテーブルトークRPGにありがちな、「パーティが新しい街に着いたあと、まず宿に部屋を借りて次の日から冒険に進む」という流れをゲームの中で再現したかったのです。 しかし、どうして個別の部屋なのか、パーティ全員で泊まれないのかはよく覚えていません。おそらく、どちらでも良いと考えて片方を選んだのではないかと思います。 ところで、ゲームに寄せられるユーザーからの要望についてですが。ゲームデザイナーの視点で言うと、なによりも重要なのは自分の実現するべきものを実現することです。ユーザーから反対意見があったら、「リサーチの結果、こういう理由で(このユーザーにとって合理的でない挙動は)正しいデザインなのです」とユーザーに説明する情報をまとめれば良いのです。 ただし、ユーザーからまだなにも言われていないのに言い訳を考えるのは時間の無駄です。自分が正しいと思ったらまずそれに合わせて作れば良く、ユーザーからの声があったら「その後で」いくらでも答えたら良いのです。 堀江アドバイスありがとうございます。 他にも気になっていることがあります。『ダイヤモンドの騎士』(編註:『Wizardry II: The Knight of Diamonds』。FC/GBC/SFCでは『ウィザードリィIII』)の段階で、魔法禁止、つまり魔法が使えないフロアがあったのですが……そこで魔法のアイテムを使うと、使えたり使えなかったりするのですね。なぜ、使えたり使えなかったりするのでしょうか? ロバートどうしてなのか自分でもよく覚えていません(深いため息)。 おそらく、その当時は呪文を使えないエリアを作りたかったのです。プログラム内のスイッチを入れて、簡単に「この領域なら呪文をかけられない」という風に。もしかすると、そのときは魔法のアイテムまで考えていなかったのか、「このくらいなら見逃してもいい」と適当に考えていたのか。あるいは、ハードウェア容量の問題なのか。 なにがあったのかは覚えていませんが、不具合のようなものだったのではないでしょうか。昔のゲームですと適当に作っている面もあるので、自分で開発しているときにはそれほど問題はなかったかもしれませんが、大量のユーザーが並行してプレイすると予期せぬことが起きます。 堀江そういう技術的な面ですと、古い作りの『ウィザードリィ』ではアイテムが10個までしか持てないとか、スペシャルパワー(SP)を使うときに装備画面に行かないと使えないとかの制約がありました。これも技術的な側面が強かったのでしょうか。 ロバートそうです。そういう決まりごとはほぼシステムの制限によるものです。プレイヤーデータが一定の容量しか入らないことからアイテムは10個までしか入りませんでした。 また、パーティのキャラクターが6人までなのは、画面に表示できるのが6行までだったからです。 ゲームシステムとしては、パーティが6人までということで、今では当たり前の「ファイターが前に立ってメイジが後ろにいる」というスタイルが生まれました。偶然だったかもしれませんが、パーティの構造としてはとても良かったです。 環境の制限に合わせて、その制限を超えられるようなシステムを作れば、あわせてゲームデザインが大きく変わっていく。良い意味で制限によってゲームの形ができることもあるのです。 堀江6人パーティの意外な理由がわかりました。 ロバート偶然ですが、その当時のシステムではそれしかできないので、それを選んだのです。 あふれる遊び心とサービス精神 堀江似たような話になりますが、古い作りの『ウィザードリィ』で転職すると能力値が種族の最低値まで下がります。なぜ、種族の最低値だったのでしょうか。職業と種族、それぞれの高い方を取れば良いのではないでしょうか。 ロバートこれも40年前を振り返ってみて、どうしてなのかははっきり覚えていません。 おそらくその当時にも様々な選択肢があったでしょう。キャラクターのステータスの数値を最低値にするのか、最高値にするのか、そのままにするのか。どれでも良いと考えた結果だったのかもしれません。 転職のときはたいていすでにキャラクターがレベルアップしてステータスがかなり高い数字になっているので、ステータスをなるべく低くすることで上級クラスになったときに新たなチャレンジが生まれるようにしたのかもしれません。 これも具体的に当時どうしてそうしたのかははっきり覚えていません。あの時代の開発でよくあった「じゃあ、やろう」というくらいの気軽なところだったのかもしれません。当時は「良い考え」だと思いましたが、結果的に本当に良いアイデアだったのか、はっきりしないまま終わるのかは時間が経ってわかるものです。 あれから40年後に振り返って考えてみると、「あなたは侍になりました。今侍になったばかりなのに、そんなに熟練してはいないでしょう?」そういう言い訳もできるのではないでしょうか。 昔の話の大半については、プログラムのソースコードを見れば「こういう不具合だったのか」とか「どういう意図だったのか」と文脈がわかるかもしれませんが、会社を辞めてから30年以上コードを見ていないので今では想像もつきません。 (日本語で)『申し訳ございません』(一同笑)。 ロバート長い歴史の中では、ゲームのコードをリバースエンジニアリングして自分よりゲームの中身に詳しくなったユーザーがたくさんいます。不思議に思われるかもしれませんが、現状は確かにそうなっているのではないかと思います。 堀江ゲームの中身に詳しいユーザーと言えば。日本人のコアファンたちがずっと悩んでいる笑い話なのですが、忍者をはじめとして冒険者が装備をなにも持っていないときはいったいどんな格好をしているのでしょうか。ロバートさんにはイメージがありますか?日本では昔から、それをヌーディストの集まりじゃないかという話をしている人たちがいるのですけれど。 ロバートつまらない回答かもしれませんが、おそらく装備品ではない普通の格好をしているでしょう。もしかしたら、遊び心の多いマニュアルの絵を見るとパンツ一枚かもしれませんが、装備を外したらごく普通の姿になっているのではないかと考えています。 しかし、これが望んでいるお答えでなければ、ちょっとお金をいただければ、この機に好きなお答えをしますよ(一同笑)。 『ウィザードリィ』の枠を超えて 堀江キャラクターのビジュアライズとしては90年代に松竹富士が初代『ウィザードリィ』のアニメを作っていましたが、ロバートさんにとってどんな印象を受けるアニメでしたか。ご覧になったことはありますか? ロバート観たことがあります。20年くらい前に観たものなので自分の記憶が正しければ、感想は「オーソドックスなファンタジー。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』らしいもの」ですね。 実は昔、北米でライセンスできないかと問い合わせしたことがありますが、著作権がやっかいで実現もできず。北米では同作のアニメは一回も公式に流通していません。いまだに「なんでライセンスしないの?」という問い合わせを受けることもありますね。 堀江もしライセンスを受けられる機会があったら、ぜひやりたいですか? ロバートうーん……(笑)。 堀江Yesということにして欲しいですね(笑)。 先程も言及がありましたが、アニメのディストリビューター「AnimEigo」としての活動は最近いかがでしょうか。近年では古いアニメのクラウドファンディングを行われたり、「プロジェクトA子」のマスターフィルムを偶然発掘されたことで話題になりましたけれど。 ロバート主に昔のアニメについて、Blu-ray版、特に高級品としてのコレクター向けアイテムの提供をしています。 それに関連して、台本や設定集などアニメの制作側の資料をできるだけまとめて一緒に提供しています。Blu-rayの特典という意味もありますが、自分で守っていかないと消えてしまいますから、とてももったいないですね。そういったものを次の世代が楽しめるように、できるだけ守っていきたいという心があって活動を続けています。 今までにそういう対応をしたのが、「バブルガムクライシス」、「おたくのビデオ」、「ライディングビーン」、「メタルスキンパニック MADOX-01」、「ガンスミスキャッツ」、「メガゾーン23」などですね。(編注:直近では「カムイの剣」のクラウドファンディングが行われたようです) 堀江ところで、クラウドファンディングのプロジェクトの製品は、日本で手に入れられる日は来るのでしょうか。今のところのプロジェクトでは、日本向けの発送は一切していないはずなので。 ロバートライセンシングが関わってしまうのが一番大きな理由ですが、ちょっと難しいところです。日本の版権元が似たようなことをする可能性もありますしね。ただ、こういったクラウドファンディングについて、なにをすべきでなにをすべきでないかの経験が我々にはあるので、そういう情報を逆に日本の人々に共有しても良いのではないかと思います。 植木夏美氏(AnimEigo COOでロバート氏夫人)ちょっと補足させていただきますと、基本的に日本にも販売できたらとは考えているのですが、日本の版権元に日本での権利を押さえたいという意向があり、それで海外だけということになってしまうのですよね。 堀江そういえば、アニメ以外で他に翻訳の活動をされていた時期があると小耳に挟みました。昔のスーパーファミコンの『超攻合神サーディオン』というゲームにロバートさんが関わっていたそうですが、どういう経緯で関わることになったのでしょうか? ロバートはっきり覚えていないのですが、おそらく「やりますか?」と翻訳の仕事が入ってきて、私と(『ウィザードリィIV』の話題でも名前が出た)ローの二人でゲームの翻訳とか楽しそうだから「じゃあ、やろう」という流れだったと思います。当時は「良い考え」だったんじゃないかな。 堀江最近インディーゲームが日本からも多数発売されるようになったことで、ゲームの日英翻訳の需要が高まっています。機会があったらまたゲーム翻訳に関わる可能性はありますか? ロバートありうる話です。プロジェクトが面白そうだったり、楽しそうなものだったりしたら、興味がありますね。 少し似た話で、何年か前にゲーム関連のドキュメンタリー「Mother To Earth」のローカライズに関わりました。 昔、ファミコンのRPG『MOTHER』は、海外向けに完全にローカライズされたはずなのに発売の直前で中止され、英語版が出なかったのです。ですが、何年か後にコレクター市場でROMが出回ってしまいました。このドキュメンタリーは、「しかし、本当にそのROMは本物だったのか?」と、日本人にもアメリカ人にも背景を語ってもらう内容です。 日本人の話を英語に翻訳して、アメリカ人の話を日本語に翻訳してという両方の依頼を「AnimEigo」で受けました。この作品で語られる話の背景が特に面白く、興味深く感じたので「じゃあ、やろう」となったのです。翻訳そのものについては思ったよりも作業量が多くなってしまいましたが、「これは面白い。重要な話だ」と思ったので手掛けることにしました。ゲームのローカライズについても同じようなものです。 堀江最後に、日本の『ウィザードリィ』ファンと、今度『Wizardry Variants Daphne(ウィザードリィ ヴァリアンツ ダフネ)』で新たな『ウィザードリィ』に触れるユーザーに一言コメントをいただけないでしょうか。 ロバート自分の人生を振り返ってみると、『ウィザードリィ』という公園で遊んでいたのは5年間くらいでした。今はその懐かしい『ウィザードリィ』公園で新しい開発メンバーが遊んでいます。『ウィズダフネ』を好きになったら、過去のタイトルも遊んでみると、この公園にどういうつながり、どういう歴史があるのかが見えてくるのではないでしょうか。 私が会社を辞めたあとも、色々なチームが新しい『ウィザードリィ』を作ってきましたが、それらを遊んだ時に、自分から伝わったものがあるとよく感じています。『ウィズダフネ』や今後も登場し続けるであろう新たな『ウィザードリィ』を好きになってくれた方がいたら、きっとその方たちとも、自分から伝わったものによる絆が生まれているのだと嬉しく思います。 ――本日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。 余談 Q: ところで、『ウィザードリィ』ってどう発音するのが正しいんですか? ロバート ※UPDATE(2024/10/3 15:45):編註部分『ダイヤモンドの騎士』への言及を訂正しました。
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