泥沼にハマった中日の“首位打者”も…「逆日本シリーズ男」が陥った大不振
日本シリーズと相性が悪すぎた選手
出場した日本シリーズがことごとく“鬼門”となったのが、福留孝介である。 まず中日ルーキー時代の1999年、ダイエーとのシリーズ第1、2戦で1本ずつ安打を記録も、第3戦以降は無安打に終わり、通算18打数2安打5三振0打点。1勝3敗で迎えた第5戦では、1対0とリードの3回1死満塁のピンチで痛恨のタイムリーエラーを犯し、一挙6失点のきっかけをつくるなど、「最後の最後であんなミスをするなんて力不足」とほろ苦い初シリーズとなった。 2度目のシリーズ出場をはたした2006年は、シーズンでは打率.351で2度目の首位打者、31本塁打、104打点と文句なしの成績を残し、7年前の雪辱が期待された。 だが、第2戦の4回に勝ち越しソロを放ちながら、終わってみれば2対5の逆転負け。第3戦でも初回に先制タイムリーを放つなど、マルチ安打を記録も、チームは1対6と連敗した。 そして、第4、5戦の2試合では8打数1安打0打点とバットが湿り、通算20打数4安打2打点7三振と首位打者らしからぬ成績で、日本ハムの日本一を許す結果となった。 「まあ仕方がない。これで野球が終わったわけじゃないし」と出直しを誓った福留は、その後、メジャー挑戦を経て、阪神時代の2014年にシーズン2位からCSを勝ち抜いて3度目の日本シリーズに出場した。 だが、15打数3安打2打点7三振に終わり、チームも1勝4敗で敗退。中日時代の04年は左手人差し指骨折、チームが日本一になった07年も右肘手術でいずれも日本シリーズを棒に振った不運も含めて、逆シリーズ男のイメージを払拭することができなかった。
これまでの鬱憤を晴らす満塁本塁打
逆シリーズ男と散々叩かれながらも、シリーズ後半で2度もでっかい仕事をやり遂げ、チームを日本一に導いたのが、1989年の巨人・原辰徳である。 シーズンでは、入団から9年連続20本塁打以上となる25本塁打と74打点をマークした原だったが、近鉄との日本シリーズでは第1戦から3戦まで10打数無安打と不発に終わり、第3戦では打順も7番に降格。主砲の不調に引きずられるように、チームも3連敗とあとがなくなった。 チームが初勝利を挙げた第4戦でも、原は3四球を選んだものの、2回1死一塁の第1打席で右飛に倒れ、15打席連続無安打(11打数0安打)となった。 そして、第5戦でも、原は近鉄のエース・阿波野秀幸の前に3打数無安打と沈黙させられる。 だが、1点リードの7回に、これまでの鬱憤を晴らすかのようなサプライズが起きる。2死一、二塁の場面で、もう1点もやれない近鉄・仰木彬監督は18打数7安打の4番・クロマティを敬遠し、満塁で原との勝負を選んだ。5回2死二塁でもクロマティを敬遠し、原を遊ゴロに打ち取っていたので、18打席連続無安打の原との勝負は、ある意味当然だった。 「もう理屈とかじゃない。ただ思い切って行くだけでした」と開き直った原は、カウント2-2から吉井理人の6球目をフルスイング。打球が勝利を決定づける満塁本塁打となって左翼席に突き刺さるのを見届けると、原は一塁を回ったところで思わず万歳をした。 さらに3勝3敗と逆王手をかけた第7戦、4対2の6回1死一塁で、原は事実上日本一を決める左越え2ラン。7試合で22打数2安打に終わった原だったが、2安打のいずれもが貴重な一発となり、計6打点を挙げた。3連敗後に4連勝という球史に残る逆転日本一は、原の劇的な2発抜きでは語れないだろう。 逆シリーズ男のまま終わるか、“眠れる獅子”が目覚めるかは、まさに紙一重。今年のシリーズでも、そんな覚醒シーンが見られるか注目したい。 久保田龍雄(くぼた・たつお) 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。 デイリー新潮編集部
新潮社