あの吉原の夜の揉み合いは私に戒めを与えてくれた(本橋信宏)
【本橋信宏 萌える火曜日】#5 言論人の先達から礼状と卒寿の記念ハンカチが届いた。 連載第1回で「『田原総一朗の朝食』という動画が密かな人気を博している」と、書いた。 男が朝飯を準備して、胃に収めるシーンは、なぜか引きつけられる。男の手料理と称して中華鍋を使ったり、ドレッシングやソースを駆使してテーブルを彩る食卓を映したら、これほど人気を博すこともなかっただろう。冷蔵庫から取り出し、すぐに口に運ぶ朝食だからよかったのだ。シンプル・イズ・ベスト。 記念ハンカチをありがたく頂戴しようと思ったら、ふと、こんな光景を思い出した。 1980年5月16日。 大平内閣不信任決議可決のその日、物書き稼業の新米だった私は吉原にいた。 週刊誌の編集部デスクが、風俗取材未経験の私を吉原のソープに連れてきたのだ。初のソープ体験を終えてホッコリして浴室から出ると、廊下で店長とデスクが揉み合っていた。トラブルか? 「もう来れなくなるから、やめてください」 「そんなこと言わず」 店長は、デスクのポケットに無理やり封筒をねじ込もうとしていた。受け取ってはまずいものなのだろう。 デスクと私は挨拶をすると、店を出た。 お車代と称して、風俗店がメディア側に現金を手渡すことがよくあった。デスクと店長の緊迫したやりとりは、私にやってはいけないことを強く印象付かせた。 その後、ピンサロ店やヘルス店に取材に行くたびに封筒を渡されそうになったが、丁重に断った。 「受け取らなかったの、あんたが初めてだよ」 ヘルス店の店長がそう言った。 「見て、これ」 テーブルに大量の名刺がトランプのようにばらまかれた。 「みんな、もらってるよ」 スポーツ紙、夕刊紙、週刊誌、なかには大手新聞の政治部の名刺もあった。 カネと日頃の言説は無関係なのだろう。 あの吉原の夜の揉み合いは私に戒めを与えてくれた。 野中広務が、官房長官時代に領収書なしの機密費を月に5000万~7000万円使っていたと、引退後に告白していた。自民党国対委員長や野党の大物議員、政治評論家らにもカネを届けていたが、受け取らなかったのはジャーナリストの田原総一朗氏だけだったと暴露していた。 その言論人の先達からハンカチが贈られたのだが、ありがたく頂戴しておこう。 封に書かれた言葉は、私の戒めである。 ──言論の自由を守る。 (本橋信宏/作家)