指揮官に届かなかった「もう無理です」 上がらぬ右肩…薬も効かず悟った“限界”
タイトル目前で発症した右肩痛「無理でした、薬も効かない感じでした」
6月は4試合連続完投勝利での4勝0敗、防御率2.63。自身初の月間MVPにも輝いた。「それでやっと自信がついたって感じでしたね」。先発での活躍も評価されて、オールスターゲームに監督推薦で出場。8月5日のオリックス戦(西宮)では6回1失点投球で10勝に到達した。いいペースで勝ち星を積み重ねていたが、ここから流れが変わった。11勝目は約1か月後の9月9日の西武戦(釧路)。事態は暗転した。 8回2/3を2安打1失点ながら10四球を与えるなど、苦心の投球でつかんだ11勝目だったが、そこで右肩を痛めたという。「釧路は寒くて、着込みすぎて肩甲骨の動きが悪くて……。血マメもつぶれて痛くて指先をかばって投げて、肩を壊したんですよ。その時はわからなかったんですけど、全然調子が悪かったので、途中で代えてくださいと言ったんです。だけど、6回くらいまでノーヒットで抑えていたし、ピッチャーもいないし投げろとか言われて……」。 後になって異変を感じ取った。「投げてから何日か経ったら、全然、腕が上がらなくなったんです」。首脳陣にも申告した。「『肩がおかしいから、もう無理です』と言った」という。「だけど結局『勝率1位がかかっているから取りに行けよ』という話になったんです」。懸命に調整し、中16日で9月26日のダイエー戦(平和台)に先発して7回無失点で12勝目を得たが「痛み止めを飲んで何とかしたという感じでした」。そんな状態での白星だった。 当時のパ・リーグでも最高勝率タイトルの規定は「シーズン13勝以上を挙げた投手のうち、勝率が最も高い投手」。牛島氏がそのタイトルを狙うには、あと1勝が必要だった。「もう1試合と思ってやったんですけど、もう放れませんでした。無理でした。もう薬も効かない感じでした。それで『もう投げられません』と言って……」。それがその時の限界だった。先発専任で自己最高の結果を出しながら、最後は無念のリタイアになった。 1989年のパ・リーグ最高勝率のタイトルはオリックス・星野伸之投手が15勝6敗の勝率.714で獲得した。もしも牛島氏があと1勝上乗せして13勝5敗にしていれば勝率.722となり、上回ることが可能だった。それだけに何とも悔やまれる故障だろう。「そこから医者巡りとリハビリが始まったんですよね」。それは怪我との本格的な闘いの幕開けでもあった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi