能登地震1カ月 輪島の酒造りつなぐ 福島県の蔵人、もろみ搬出 白藤酒造店 同窓生の支援に感謝
能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市の白藤酒造店は、福島県の蔵元の助けで新酒造りに希望をつないだ。店舗兼住宅が全壊し、酒蔵の設備も壊れて酒造りができない状況に陥ったが、社長の白藤喜一さん(50)、妻暁子さん(51)=伊達市出身=と同じ東京農大出身の蔵人が駆け付けた。仕込み途中のもろみを石川県内の別の酒蔵に運び出し、なんとか搾ることができた。暁子さんは古里の先輩の支援に感謝し「輪島の地で必ず酒蔵を再興する」と誓う。(報道部・小山大介) 新酒の仕込みが最盛期を迎えた年末年始。1日は唯一の休日だった。激しい揺れが襲い、白藤酒造店の木造2階建ての店舗兼自宅は1階部分がつぶれ、全壊した。風情ある建物が並ぶ酒蔵周辺は一瞬で壊滅的な打撃を受けた。暁子さんが通りに出て周りを見渡すと、周辺の住宅はほとんどが崩れていた。「輪島はどうなってしまったんだろう」。 2007(平成19)年の地震でも被災した。酒蔵の基礎を補強し建て替えたため、今回は酒蔵自体は無事だったが、仕込み用のタンクや電気設備などが破損した。3日後の4日、暁子さんと喜一さんの東京農大の1学年先輩に当たる鈴木酒造店社長の鈴木大介さん(50)=浪江町=が衛生用品やカセットこんろなど支援物資を届けた。
酒蔵の壊滅的な状況を知った鈴木さんは10日後の14日、同じ大学出身の高橋庄作酒造店蔵元の高橋亘さん(50)=会津若松市=と再び酒蔵を訪れた。新酒製造用に仕込んでいたもろみ約2千リットルを酒蔵から運び出す必要があった。もろみは搾る時期によって味わいが大きく変化する。これまでの味を維持するには今しかない―。輪島市から南に約55キロの距離にある中能登町の酒蔵が受け入れてくれた。 もろみが入ったタンクをトラックに積み、数時間の道のりを2日間、2往復して運んだ。苦労が実り、予定通りの時期に搾ることができた。搾った原酒は今後、醸造、瓶詰め作業を経て一升瓶約900本分を新酒として販売する方針だ。しかし、市内の復旧作業が進まない中、売り先のめどは立っていない。 白藤酒造店は江戸時代から続く老舗。暁子さんは大学の同級生の喜一さんと結婚し、2004年から二人三脚で高品質な酒造りに励んできた。暁子さんは「私には東日本大震災から復興の歩みを進める福島県人の血が流れている。輪島が元に戻るには時間がかかるだろう。それでも、諦めずに新酒を販売したい」。崩れた店舗を見上げ、伝統を守り続けると前を向いた。