2023年最もバズったアナウンサー? ABEMA・瀧山あかねの消えない“反骨心”
元NMB48のメンバーで、現在はABEMAの専属アナウンサーとして活動している瀧山あかね。アイドル卒業後、ローカルタレントとしての活動を経て、ABEMAの初代専属アナウンサーに採用された経歴は、アナウンサーのなかでは異色といえる。 【写真】瀧山あかねの撮り下ろしカット(全30枚) また、2023年は『週刊プレイボーイ』(集英社)で表紙を飾り、1st写真集『あかねのね』を発売するなど、新たな一面とともに目覚ましい活躍を見せていた。そんな彼女に、これまでのキャリアや逆境をどう乗り越えてきたか、理想のアナウンサーの存在などについて、たっぷりと語ってもらった。 ・キー局“全落ち”からの逆転劇 ーーNMB48に加入する前から、アナウンサーへの憧れはあったのですか? 瀧山あかね(以下、瀧山):はい。小学生のときから、ぼんやりとではありますが、憧れはありました。なので、NMB48を卒業するときも「アナウンサーになります」と宣言をして。大学に進学してから、夢が具体的な目標になって動き出した感じです。 ーー就職活動中は、壁にぶつかったこともあったとお聞きしました。 瀧山:そうですね。キー局のアナウンサー試験で全滅してしまったときは、人生のなかで一番落ち込みましたね。ずっとアナウンサースクールに通って準備をしてきたし、アナウンサーになることしか考えていなかったので。自分には無理なんだ、じゃあこの先なにをすればいいんだろうって。 本当に、絶望していました。キー局のアナウンサー試験は、新卒しか受けることができないので、1回しかチャンスがないんですよ。なので、落ちた瞬間に「新卒入社のアナウンサーには二度となれないんだな」と思いました。 ーーその他の一般企業も受けられたのですか? 瀧山:受けました。いくつか内定をいただいて、内定者懇親会にも参加しましたが、どこかモヤモヤした気持ちはあって…。そんなときに、アナウンサースクールの先生から「ABEMAがアナウンサーを募集するみたいだけど、やってみたら?」と連絡があったんです。 ーーすごい偶然ですね。 瀧山:ジェットコースターみたいな人生ですよね(笑)。ギリギリで、新卒のアナウンサーになるチャンスをつかめるだなんて…。人生、なにが起こるかわからないなと思いました。アナウンサーになる夢も、東京で働くという夢も同時に叶えられました。 ーー東京で働くことに、そこまでこだわった理由はなんなのでしょう? 瀧山:憧れです。大阪で活動していたときから、「東京に出てきた方がお仕事の幅が広がるよ」と聞いたこともあったので。メディアのお仕事をするなら、首都・東京で挑戦したいなと思っていました。 ・専属アナウンサー“1期生”だったからこその葛藤 ーーABEMAの専属アナウンサーが誕生したのは、2018年。ちょうど、瀧山さんが入社された年でした。 瀧山:前例がないので、大変でしたね。アナウンス室には、同期で入った3人とアナウンス室長しかいない。どうすればお仕事をいただけるのかも分からなかったです。 ーーすべて自分たちで作っていかなければならない環境ですね。研修期間などはあったのですか? 瀧山:半年くらいは、毎日研修をしていました。テストみたいなものもあって、合格したら番組に出演する可能性があるといった感じで。新卒1年目は、ずっとテストのことを考えていました。 ーー探り探りの日々のなかで、手応えをつかんだ瞬間はあったのでしょうか。 瀧山:初めてレギュラーで担当したのが、『WINTICKET ミッドナイト競輪』という番組でした。いまも担当している番組ですが、3時間の生放送なんです。番組を通して、声の出し方から、番組の進め方まで、すべて鍛えていただいたように思います。最初は本当にひどかったと思いますが、番組とともに成長させていただきました。そうするうちに、だんだん「あっ、いまの私、アナウンサーらしいかも?」と思える瞬間が増えてきました。 ーー地上波のテレビ番組だと、キャリアがまだ浅いアナウンサーが3時間の生放送を任されることは少ないと思われます。本当に根性が鍛えられるというか。 瀧山:いちばん最初にABEMAに出演したときも、まだ内定したばかりで。『72時間ホンネテレビ』に出演させていただくという(笑)。 ーーいきなり、新しい地図のお三方と共演……! 瀧山:しかも、生放送だったんです。本当に肝が据わりました。 ーーバラエティ番組にも出演されるようになって、どんどん知名度が広がっている印象を受けます。 瀧山:たしかに、声をかけていただく機会が増えた気がします。『ぜにいたち』とか『チャンスの時間』、あとは芦澤竜誠さんとの旅(『芦澤竜誠と行く ぶらり喧嘩旅』も「見たよ!」と感想をいただく機会が多いです。自分の向き不向きはあまり決めないようにしていますが、バラエティに出演するととても多くの反響をいただけるので、バラエティとは相性がいいんですかね…? ・「『瀧山を起用してよかった』って思ってもらいたい」 キー局のアナウンサーに対する“反骨心” ーー仕事に関しては、他者基準で決めることが多いのですか? 瀧山:そうですね。仕事に関しては、自分の意志よりも、「人からどう思われるのか?どうやったら番組がおもしろくなるか?」ということに重きを置くことが多いです。だから、マッコイ斎藤さんやかまいたちさん、千鳥さんのような、人を扱うのが上手な方に番組で料理していただけるのはとてもありがたいと思っています。 ーーバラエティ番組を拝見していて思ったのですが、瀧山さんは押し引きのバランスが絶妙ですよね。言うことは言うけど、守るところは守るみたいな。 瀧山:それは、意識している点です。他の方々や会社を蔑むような発言は、絶対にしないようにしています。ただ、自分自身の発言や行動などをネタにして楽しんでいただくのはいいかなと(笑)。番組内の対決企画などは別として、誰かを落として私が…、みたいなことはしたくないんです。 ーー本当に、強靭なメンタルを持たれてますよね。どこで鍛えられたのでしょうか。 瀧山:メンタルは昔から強いかもしれないです。負けん気が強いほうだと思います。爪痕を残せるように頑張りたいし、番組に関わる方々に「瀧山を起用してよかった」って思ってもらいたい。“キー局のアナウンサー”になれなかった過去がある分、反骨心もあるんだと思います。一緒に面接を受けていた女の子が、自分がいつか出演したいと思っていた番組に出演しているのを観て絶望したことも…(笑)。入社当初はアナウンサーにはなれたものの、ずっと劣等感があって。「ABEMAに専属アナウンサーっていたんだ」と言われないように、もっと頑張らなきゃと思っていました。 ーー最近はABEMAアナウンサーについてどのような思いですか? 瀧山:新しくアナウンサー試験を受ける方々のなかで「ABEMAのアナウンサーになりたい」という方もいらっしゃると聞いたことがあります。そう言っていただけるようになるのが夢だったので、自分がこれまでやってきたことは間違っていなかったのかも、と少し思えるようになってきました。ABEMAアナウンサーを目指してくださる方のためにも、ABEMAならではのアナウンス室を作っていきたいなと思っています。 ・「私の活動の根源は、ABEMAなので」 ーー今年の大きなトピックといえば、やはり写真集の発売でしょうか。帯にも、大きく「ABEMAアナウンサー」と書いてあって。 瀧山:写真集を出すというのは、人生のなかでもかなり大きな出来事でした。帯に、ABEMAアナウンサーと書いていただけたのも嬉しかったですね。ABEMAアナウンス室の存在が、世間に知られてきたのかな? と。私の活動の根源は、ABEMAなので。還元できるように、もっと頑張っていきたいと思っています。 ーー2024年は、どんな1年にしたいですか? 瀧山:写真集発売もそうですが、私の人生って想定外のことが多いんですよね。なので、今後どのような人生を歩んで、どんな人になっていくのかまったく想像がつかないです(笑)。ただ、2023年に負けないくらい挑戦をしていきたいと思っています。『週刊プレイボーイ』(集英社)の表紙も、地道に頑張ってお仕事と向き合っていくなかでいただけたチャンスだと思うので。細かい目標を挙げるとするなら、タクシーCMに出演したいです……。一度出演させていただいたことがあるんですが、本当にたくさんの反響をいただきました。 ーーたしかに、どうしても目に入りますもんね。 瀧山:ABEMAとしての広告もよく流しているので、そこになんとか…(笑)。来年までには叶えたいなぁ。ABEMAアナウンサーの瀧山あかねとして、ABEMAを背負って出演したいです。 ーー最後に、瀧山さんが目指すアナウンサー像を教えてください。 瀧山:ずっと、鷲見玲奈さんを目標にしています。鷲見さんの写真集はもちろん、ご出演されている番組や雑誌なども欠かさずチェックして、勉強しています。朝の情報番組の司会をこなしながらも、グラビアや『東京ガールズコレクション』といったイベントの司会など幅広いお仕事をされているじゃないですか。私が挑戦してみたい仕事をすべてやってらっしゃるのが、鷲見さん。自分の軸がブレそうなときは、いつも鷲見さんを見ます。「これは、鷲見さんだったらどうするかな?」って。バラエティ番組で身体を張っているところも含めて、全力な姿が私の憧れです。
中村拓海、菜本かな