鍵がかかっているはずのドアから、ジャニー喜多川氏が入ってきた…13歳で性被害「忘れようとした」過去を告白し、乗り越えるまで 「ジャニーズ性加害問題」(1)
公演でホテルに宿泊する際は人がいて騒がしい部屋を選び、眠らないように気を張った。喜多川氏の家に行くこともあったが、いつも泊まらずに帰った。 被害を「なかったことにしたい」と思う一方で、普段の喜多川氏は優しく、おじいちゃんみたいな存在だった。コンサートのリハーサルで周囲の空気がピリピリとするような時も、喜多川氏がやってくると場がなごんだ。性加害を除けば、多くのスターを輩出したプロデューサーとして尊敬している。 高校を卒業する頃、ジャニーズ事務所を退所すると決め、被害に遭ったことを親に打ち明けた。親は多くは語らず「苦しかったね」と涙を流した。 「親も応援してくれていたので、自分たちを責めたんじゃないか。その思いを想像すると今も胸が苦しい」 ▽「ジャニーズだけじゃない。同じ思いをする人をゼロに」 ジャニーズ事務所を離れてからも、ふとした瞬間に過去が脳裏をよぎって落ち込んだ。自分のことを「汚い」と思うこともあった。気心の知れた人に被害を話せるようになったのは、30歳を過ぎてからだ。
人に打ち明ける中で、優しい言葉をかけてもらったり、支えてくれる人が現れたり、そうした人たちに助けられ、だんだんと乗り越えてきた。 現在は芸能プロダクションの経営者でもある。長く続けてきたエンターテインメントへの思い入れは強く、精神的に苦しい時も、人前で踊ることで生きる力をもらった。 被害を公にすることなど考えたこともなかった。過去を「忘れよう忘れようとしてきた」からだ。しかし、週刊誌で顔を出し、実名を公表した上で明らかにした。「性被害者」とレッテルを貼られることにつながり、今後の芸能活動にプラスにならないことは重々承知している。それでも公表したのは、社会から性被害をなくしたいからだ。 「ジャニーズだけじゃないと思う。芸能界も。それ以外も。(自分と)同じ思いをする人をゼロにしたい」 ▽「うやむや」がファンやタレントを苦しめる 橋田さんは5月、日本外国特派員協会で記者会見を開き、児童虐待防止法の改正を求めて署名活動を始めたと明らかにした。現在の法律は、虐待の行為者を「保護者」に限定しているため、第三者による加害の未然防止や被害の早期発見につながらない。活動は同じく被害を訴えているカウアン・オカモトさんや二本樹顕理さんらと一緒に行う。