旧優生保護法「違憲」 最高裁判決
「戦後最大の人権侵害」を断罪する歴史的な司法判断が示された。 旧優生保護法の下で不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、被害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審で、最高裁大法廷は7月3日、旧優生保護法を「立法時点で違憲だった」とし、国に賠償を命じる判決を言い渡した。不法行為から20年で賠償請求権が消える「除斥期間」については、人権侵害の重大性に照らし、「適用するのは著しく正義・公平の理念に反する」と判断し、国の主張は権利の濫用で許されないと判断した。最高裁判決は、旧優生保護法の違憲性について「不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とする不妊手術を認める規定は「当時の社会状況をいかに勘案したとしても、正当とはいえない」と指摘し、生殖能力を失わせるという重大な犠牲を強制し、憲法13条が保障する「自己の意思に反して身体の侵襲を受けない自由」を侵害するとしている。また、障害のある人らだけを手術の対象にしたのは差別的取り扱いで「法の下の平等」を定めた憲法14条にも違反するとしている。その上で、明白に違憲の法律をつくった国会議員の立法行為自体が違憲と断じている。 1948年に制定された旧優生保護法が96年に母体保護法に改正されるまでの間、優生思想に基づいて障害のある人に対して不妊手術が約2万5000件、人工妊娠中絶が約5万9000件、合計約8万4000件の手術が実施されている。 最高裁判決を受けて岸田文雄首相は7月17日、原告らと首相官邸で面会し、初めて被害者らに直接謝罪し、訴訟を提起していない被害者や配偶者に対する補償の検討や係争中の訴訟については和解による解決を目指す方針を表明した。被害者らは一刻も早い全面解決を求めるとともに、「差別のない社会をつくってほしい」と訴えた。 最高裁から立法時点で違憲だったと指摘された旧優生保護法は、議員立法で48年6月28日に与野党全会一致で成立したものであるが、その前年の47年5月3日には日本国憲法が施行されている。 基本的人権の尊重原理は日本国憲法の重要な基本原理の一つであるが、違憲の立法を半世紀近く存続させてきたことは国会や政府の責任はもちろんのこと、人権尊重の考え方が定着していないわが国の戦後社会のあり方が問われている問題と言える。
宇都宮健児・『週刊金曜日』編集委員