【プレイバック’04】熱愛報道渦中の中村獅童が本誌記者の直撃取材で語った篠原ともえへの〝思い〟
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’04年1月9・16日号掲載の「中村獅童&篠原ともえ『♡半同棲生活』一部始終」をお届けする。 【思わず2度見】すごい…!目黒通りを変装もせずに歩いていた中村獅童と篠原ともえ ’90年代後半にそのハイテンションなキャラクターと独特なファッションで「シノラー」なる言葉を生むなど、一世を風靡した篠原ともえ(当時24)と、歌舞伎役者でありながら’03年に映画『ピンポン』で映画の新人賞を総なめにして、俳優としてブレイク中だった中村獅童(当時31)。かねてから噂になっていた二人の熱愛スクープ記事だ。 ◆「ここじゃあ何ですから事務所のほうで話しませんか?」 《「あ~ん、モグモグ。美味しいですう~」 そんなセリフが聞こえてきそう。 口を大きく開けてトンカツをパクついているのは、シノラーこと篠原ともえ。とくれば、傍らで優しく見守っているのは、もちろん中村獅童だ。 やっぱりねぇ……。仲良くカウンターに座っている二人の姿を見れば、誰もが ♡♡な間柄であると思うんだろうけど……。》 獅童と篠原との仲が噂になったのは’03年の3月だった。8月には二人が新居を探していたという話も報じられて、メディアは「すわ結婚か」と色めきたった。だが、公の場で芸能レポーターに突っ込まれるたびに獅童は「仲のいい友達ですよ」とかわしていたのだった。 しかし、12月上旬のとある夜に本誌が目撃したのは、篠原のマンションの地下駐車場から出てくる獅童の愛車。目黒駅近くで止まった車から降りてきたのは獅童と篠原だった。二人は近くのとんかつ店へと入って行き、前出のシーンとなったのだ。 それ以外にも本誌は二人が篠原のマンション近くのスーパーで買い物をしていたり、マンションで一夜を過ごした獅童が翌日の午後に帰っていく姿を目撃していた。 これは果たして本当に「ただのお友達」なのか? 本誌は獅童を自宅近くで直撃した。最初は表情が硬かった獅童だったが、雨が降り出したこともあって「ここじゃあ何ですから事務所のほうで話しませんか?」と、なんと彼の自宅兼事務所に本誌を招き入れてくれて30分以上も取材に答えてくれたのだった。 《――知り合ったきっかけは? 「そもそもは嫌いだったのよ(笑)。アイツが出てくると、テレビのチャンネル変えてました。昨年の2月に、竹中直人さんのお芝居に彼女が出演していて、その打ち上げで初めて会ったんです。『ずっとファンだったんですう~』と、あのテンションで言われて、『やっぱり本物もうるせえんだなあ』なんて思っていました(笑)。 そのときに、彼女が『歌舞伎を一回も観たことがない』というので、1月の公演に招待したんです」》 当初は、あくまで「仲のいい友達」と、篠原について語っていた獅童。実際に知り合った頃はそうだったようだ。だが、よく話すようになってからは頭が良くて自分のやりたいこともハッキリとしている篠原に惹かれていったことも明かし始めた。 《――頻繁に会うようになったのは? 「夏ぐらいからだったと思います。自分の一番やりたいことだとか、将来の自分自身については一番よく話すかなあ」 ――それって、やっぱり交際ですよね。ズバリ、篠原さんはどんな存在? 「奥歯にものの挟まったような言い方はしたくないんだけど……。大切な女性ですよ、彼女は」》 「オレ、本当はこんなことベラベラしゃべりたくないのよ」と言いつつも、十分に本音を垣間見せてくれたのだった。 獅童と篠原がいつ破局したのかはさだかではない。だが、獅童は’05年6月に映画『いま、会いにゆきます』で共演した竹内結子(当時25)とデキ婚。同年に第1子が生まれるが、’08年2月に離婚している。その後、’15年1月に一般女性と再婚。現在、歌舞伎役者としても俳優としても脂ののった演技を見せている。 一方の篠原はメディアでの露出は減ったものの、以前から目指していたデザイナーとしての道を着実に歩んでいた。’13年に松任谷由美のステージ衣装を担当したことで評価され、デザイナーとしての仕事も増えた。’22年には世界で最も古い国際的な広告の賞であるニューヨークADC賞の2つの部門で銀賞、銅賞を獲得、国際的にも評価されている。 現在でもそれぞれの分野で活躍する二人にはこんな〝接点〟があったのだ。
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