イラン核協議 イランと米国の「歴史的」な合意
イランと諸大国は7月14日に同国の核開発に関する包括的な協定に合意しました。これを踏まえて20日には国連安保理が、協定の内容が履行されれば、イランに対する経済制裁を解除する決議案を可決しました。この合意を「歴史的」とオバマ大統領は評価しています。この合意の「どこが」「何が」歴史的なのでしょうか。 移り変わる「米国・イラク」関係 イラン・イラク戦争後の変遷
6か国とイランによる最終合意
その説明に入る前に、まず合意の大枠について押さえておきましょう。イランは保有する濃縮ウランの量の削減、ウラン濃縮活動の制限、核関連施設への厳しい査察の受け入れなどを承諾しました。こうした条件が10年以上にわたってイランに課されます。こうした条件が履行されれば、短期間で秘密裏にイランが核兵器を製造することはできなくなります。逆に大国側はイランにこれまで科してきたさまざまな経済制裁を解除します。 またイランと交渉した諸大国は6か国です。国際連合の安保理の常任理事国の5か国とドイツです。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の常任理事国5か国を英語でパーマネント・メンバーズとかパーマネント・ファイブとか呼びますのでパーマネントPermanentの頭文字をとってP5として言及されます。それにドイツを加えてP5+1として6か国が言及されているわけです。ドイツが、この交渉に参加したのは、経済的な関係ばかりでなく歴史的にイランから多くの留学生を受け入れるなど深いつながりを維持してきたからです。長年イランと深い外交・経済関係を維持してきた日本が参加していないのは残念です。日本の外交関係者に考慮してほしい点です。
新たな戦争の可能性を回避する合意
さて、この合意は、なぜ歴史的と評価されているのでしょうか。この合意の最大の意義はイランとアメリカとの軍事衝突の可能性を大幅に低下させた点にあります。アメリカはイランの核兵器保有は容認しない。それを阻止するためには軍事力の行使を排除しないという立場でした。つまり戦争をしてでもイランの核兵器製造を阻止する構えだったのです。しかし今回の合意によって、イランが秘密裏に短期間で核兵器を製造することはできなくなりましたので、アメリカが軍事力を行使する必要はなくなりました。つまり中東での新たな戦争の可能性は薄くなったのです。新たな戦争を防ぐのですから、歴史的という評価は当然でしょう。 第二に歴史的なのは、これがアメリカとイランとの間の合意である点です。というのは、両国間には深い因縁があるからです。1979年の革命でイラン・イスラム共和国が成立する前までは、王制のイランはアメリカの同盟国であり、同国の中東政策の要(かなめ)でした。しかし1979年に成立した革命政権は反アメリカ的であり、1980年にはテヘランのアメリカ大使館が学生たちに占拠され、大使館員が人質になるという事件が起こりました。この事件は444日間にわたって続き、アメリカ人の多くはイランによって辱(はずかし)められたとの感情を抱きました。アメリカの心理に深い反イラン感情を刷り込んだ事件でした。 今回の合意の意義は、こうしたアメリカ国民の深い反イラン感情をオバマ政権が乗り越えた点にあるわけです。戦争を防ぎたいとの思いが、イランに対する嫌悪感を抑え込んだわけです。イラン革命から36年が経過し、大使館人質事件を覚えていない世代が増えてきたというのも、アメリカ市民の対イラン感情の軟化に貢献しているでしょう。