「芸人との結婚は許さない」…TBS『ラヴィット!』田村真子アナのご実家訪問記
お嬢様伝説
三重屈指の名家に生まれた田村アナだけに、これまで「お嬢様エピソード」が度々報じられてきた。 <父親の地元である三重・松阪の支持者からは『姫』『お嬢様』などと呼ばれ、幼少期からかわいがられていた> <小学校時代、彼女の通学時に校長と教頭が校門まで毎日出迎えに来ていた> だが、近隣を取材しても、こうしたエピソードはまったく出てこなかった。むしろ「田村家は政治家の家とは思えないほど普通です」という声が多かった。田村アナの実家近くに住む父方の祖母、幸枝さんは言う。 「田村家の人間はみんなまじめです。主人(憲司氏)の父である秢はもともと弁護士で『悪いことをしてはいけない』という教えでした。政治家の家は派手にしちゃいけませんよ」 憲久議員の後援会会長を長年務める「宇野重工」の宇野恭生氏も、その理由をこう説明する。 「地味に謙虚に、そして身がきれいであること。これが田村一族の伝統なんです。私は元先生の時代から後援会に携わっていますが、元先生は『憲政の神様』と呼ばれた尾崎行雄先生を崇拝しており、金券体質を嫌った。憲久もそれを受け継いでいる。真子に浮ついたところがないのも、親父の姿を見てきたからでしょう。 憲久は憲司さんの遺産を相続しているし、一族が経営する会社の株も所有している。田村家が裕福な家であることはたしかです。ただし、憲久は華やかな生活をしてこなかったし、妻や娘にもさせてこなかった。後援会長だから大げさに言っているのではなく、見たままを言っているだけです。憲久の自宅を見ましたか? 小さいでしょ。あの家が田村一族をよく表しています」
祖母が明かした素顔
田村アナは地元の公立小学校を経て、津市にある仏教系の名門私立・高田学苑に進学。高校卒業後は上智大学文学部新聞学科に進んだ。大学でも派手な生活はせず、サークルではなく茶道部に所属。ミスキャンにも出ていない。大学時代は議員宿舎で父と2人暮らし、弁当も父親が作っていた。 アナウンサーを志したのは、テレビ朝日のインターンシップへの参加がきっかけだったという。 「真子がアナウンサーになったのは驚きました。小さいときからどちらかというと無口な子でしたから。外から見ている限り、政治家の娘というプレッシャーを与えられながら育ったようには見えなかった。両親は進学や就職にもノータッチだったと聞いています」(宇野氏) 田村アナは地味だった。これについては祖母の幸枝さんも同意する。 「高校までこっちにいましたけど、あまりしゃべらん子でしたね。おとなしくて本当に無口な子。主人(憲司氏)はよく『真子はちっともしゃべらんな』と言っていました。ですからアナウンサーになるなんて思いをしなかった。『真子にああいう素質があったんやな』とビックリしています。 親が忙しいから一人でコツコツ勉強していました。親に『勉強せい』と言われなくてもやるタイプです。孫だからあまり褒めるわけにもいかないけど、何でもできる子でした。大学の先生に勧められてTBSを受けたと聞いています。毎朝『ラヴィット! 』を楽しみにしていて、ベッドで横になって見ています。いつも元気をもらっていますよ」