タクシー正面衝突で顎大けが、股関節手術…デビュー55周年の演歌歌手・松前ひろ子が杖をついてステージに立つ理由
今年デビュー55周年を迎える演歌歌手の松前ひろ子(74)にとって、ここまでの歩みは山あり谷ありの芸の道だった。交通事故で左顎を大けがし、一度は歌手活動を断念するも、リハビリを経てカムバック。近年は変形性股関節症や腰椎すべり症で手術を受けたこともあり、杖(つえ)をつきながらステージに立っている。どんな局面でも自らを奮い立たせてくれたのは「家族」の存在。娘婿で歌手の三山ひろし(43)への感謝の思いも口にした。(宮路 美穂) 【写真】娘婿・三山ひろしと2ショット 55年間は荒波の連続だった。松前はここまでの歩みを振り返り「よく皆さん『あっという間だった』とかおっしゃいますけど、とんでもないこと。私の場合は本当に七転び八起きで…」と劇的な歌手人生を形容する。 いとこだった北島三郎の下で内弟子修業を経てデビュー。2年目の希望に満ちあふれていたある日の仕事帰り、乗っていたタクシーが正面衝突事故を起こした。後部座席に乗っていた松前は、防護板に顔面を強打し、左顎に大けがを負った。「眼鏡をかけていたので、危ないと思って横を向いたら左顎が奥に入ってしまった。口が動かなくて、しびれて痛くて…。救急病院で注射をこめかみに打ちました。外れた関節をつけるボンドのような役割をする薬と聞いたんですが、それが関節の外に漏れた。一瞬にして左顎が固まってしまったんです」 複数の病院を回ったが、医師との相談の結果、手術の選択は取らず、自然に治すことを目指してリハビリが始まった。「3か月ぐらいかな、と思っていたけど8年かかりました」。歌うなどもってのほか。口は箸が入るほどのスペースしか開かなくなり、不自由なく食事ができるようになったのは5年後だった。箸を差し入れて右顎で咀嚼(そしゃく)する日々が続いた。治療中に、北島の紹介で作曲家の中村典正さんと結婚し、子宝にも恵まれた。主婦として夫を支える道もあったはずだが、それでも歌手復帰を諦めたことは一度もなかった。 「私は家出をしてきたという負い目があったんです。親不孝をしていたので、ふるさとに帰って家族をどうしても喜ばせたかった」。幼少期は北海道の裕福な家庭で何不自由なく育ってきたが、北島に歌声を披露したところ「うんうん、いけるね」と評され歌手の夢に火がついた。両親の枕元に置き手紙をし、船で上京。海の上で涙が止まらなかったという。「北島さんが(北海道に)帰る度、『サブちゃんお帰り』という横断幕や看板が出るんです。実家の前にもそれは出ていて。両親のことを思うと『弘子おかえり』っていう看板をいつか見たいだろうなって。そのことを思うとどうしても辞められなかった」 子育てをしながら作曲活動中の夫のピアノの音色に合わせてハミングをしていたことも効果的なリハビリとなり、家族の理解を経てカムバックを果たすことになった。「主人も『ママの意地があるから』と言って、家族で応援団になってくれた。誰を頼るでもなく、マネジャーもつけずに活動する時もありました。この業界の苦労も身に染みましたけど、一つでもいいことがあったら30倍ぐらいの喜びに感じた。人の優しさに救ってもらいながら、感謝の気持ちを忘れずここまでやれてきたんだと思います」 中村氏と「ミイガンプロダクション」を設立し、二人三脚で芸能界を歩んできた。のちの娘婿となる三山との出会いは今でも覚えている。19年前、経営する「Liveレストラン青山」の従業員の面接に訪れた歌手志望の青年が三山だった。「あか抜けてなかったです(笑い)。でも声帯が素晴らしくて、どこにもない声。昼は事務所で働いて夜の6時から下のレストランで働いてもらった。付き人についてもらって『絶対に笑顔は忘れないで。感謝の気持ちで歩くのよ』と教えたことを今でも守ってくれていて、礼儀正しさは昔から変わらないですね」 12年には狭心症のためステント治療の手術。21年には変形性股関節症のため人工股関節を入れた。「主人が入退院を繰り返している時期に足がしびれるようになって、2年間足を引きずって歩いていたんです。ある時に階段を下りようと思ったら足が止まらずパタンと崩れ落ちてしまって…」。股関節の術後には腰の神経が圧迫され、昨年7月に腰椎すべり症の手術を受けた。 今では歩行時やステージに立つ際は、杖が欠かせなくなった。「お客様に対して情けなくて…。子供の頃から日舞を教えてもらっていたのに、杖とマイクを持つとロボットのようで。手を上げることも、所作の一つもできないんです」。意気消沈する松前を元気づけたのは、三山からの思わぬ贈り物だった。 「三山くんが去年の母の日に特注の杖をくれたんです。ゴルフのパターでも入ってるような箱を持ってきて開けたら、(ラインストーンのデコレーションで)キラキラの杖だったんです。『先生はキラキラが似合う。普通の杖だと先生らしくない』って」。輝く杖の存在が、ステージに立つ松前の背中を押し、ストーンのように輝かせてくれている。 「うれしいことも悲しいことも、全部プラスに考えて、それがあったから今があると思ってやってきました。一つの家族で、みんなが協力し合って今があるんだと思っています」と松前は語る。55周年イヤーは記念楽曲「おんなの恋路」、事務所の新人・小山雄大(21)のメジャーデビューと大事な局面が続く。 「私はみんなを守っていきたい。55周年をしっかりと歩んで、ファンの皆さま、強い絆で結ばれた家族と社員に恩返ししたい。『いつまでも元気で歌って、笑顔を皆さんに見せてください』と言ってもらえることが一番うれしい。作り笑顔ではなくて、心から感謝の笑顔で歩きたいなと思ってます」。歌手として、経営者として。音楽を通じ、一つでも多くの笑顔の花を咲かせることが、松前の生きる道だ。
報知新聞社